ドーサの引き方
まず最初は「ドーサ引き」について。そもそも、ドーサ引き自体を行わない制作が増えて来たと聞きます。制作において、販売の時点でドーサ引きの行われた用紙を買い求めることが多くなったのです。となれば、使っている和紙にどのようなドーサが引かれているか、また引かれ方をしているかも、制作時にトラブルが出ない限り、気にすることも無いのです。一方、現在、絹に絵を描く場合は、絹張りの行程も含めて自分で行うこととなり、ドーサ液の濃度(水、膠、ミョウバンの割合)、混ぜ方、仕様時の温度など敏感にならざるおえません。もちろん一般的でない和紙を使うとか、独自の技法を使うとなれば、紙の管理も重要になります。
ドーサ液の濃度、温度の話は、ひとまず置いておいて、その引き方について、今回、気になることを聞きました。「”引く”という言葉の示すように、ドーサは、タップリとしみ込ませるように基底材に行うのでは無く、表面に文字通り”サッと引く”のが正しい」という話。また、「裏表必ず引くこと」という話。 これは、和紙、絹共にの話だそうです。
A:黄色い部分を基底材として、たっぷりと濃度のあるドーサを一度で引く。B:ドーサ液を表面をなぞるようにサッと一度表面のみ引く。C:ドーサ液を表面をなぞるようにサッと表裏両面、サッと引く。(ドーサを両面引く場合は、最初に引いた面が完全に乾いてから(少なくとも一日おいて)もう一つの面を引きます。)※ドーサを引く天候、湿度・温度も重要です。風通しもか変わります。B:C:とも重要なのは、表面のみにドーサを効かせるように引くということです。和紙はもともとアルカリ性で、ドーサ液は酸性です。ドーサ濃度が高ければ、紙の劣化、酸性紙の問題が着いて回ります。ドーサの目的が滲み止めであり、絵の具の定着を助けるの大切な役目であっても、紙の繊維を壊すなら最低限にしたいとも思います。ドーサの皮膜を表裏に作って絵の具の安定な定着や、表具時に裏からの水の浸透をコントロールしながら、なおかつ、繊維自体を守る意味で芯までは浸透させないということは理にかなっている説明です。C:が正しい!と言われればその通りのように思えます。一方、たっぷりの水を使った作業を表面で行うと、このようなやり方ではドーサの皮膜は不安定となるのではとも思うのです。どのようにしてドーサの機能が科学的に実現されているかを知ることが重要に思われます。
ドーサ液に含まれる生明礬、ミョウバンの持っている機能に「タンパク質を収斂させる」があります。だから、絹枠に緩く張った絹でも、ドーサを引くことでピンと張らせることが出来るのです。このとき、膠はどのように働いているのでしょうか? 1、ドーサ液に含まれる膠分がまず繊維にしみ込む2、ミョウバンが、繊維にしみ込んだ膠、タンパク質を収斂さすことにより、繊維と繊維の間、繊維自体にある隙間を塞ぐように働く、この時、同時にタンパク質を固める働きにより、膠分を繊維に止める。3、隙間を閉じることにより、絵の具に含まれる膠分が接着剤として有効に働く基盤となる。一方、膠分の強い墨などを使うとわかると思いますが、ドーサを引いていない紙であっても、にじまずに書くことが出来ます。流石に水分が多くなると、そうとは言えない場面も出て来ますが、このときの膠ははたしてどのように機能しているのでしょう。和紙では使われている繊維同士がもともと自ずとくっつこうとする性質があり、長く寝かした紙は滲まずに使えたりします。「滲み止めに機能として、膠分が大切であり、生ミョウバンは膠が和紙の繊維にとどまることを助けるためのものである」と読んだことがあります。絹はもちろんそのもの自体がタンパク質で出来ており、ミョウバンがこのタンパク質を収斂させ隙間を防ぎ、滲み止め、絵の具定着の膠を受け止めているともとれます。荒い織りの麻布などを使う時は、ドーサを引く前に寒天などをあらかじめ引いておくとよいと何処かで読みました。また薄美濃紙のような元々透けるような薄い紙では、芯までしみ込ませずに表裏の表面のみに薄くドーサを引くと言ったことが可能なのかどうか?。こうして考えてくるとドーサに含まれる膠の量、生ミョウバンの量、それぞれがどのように現実の場で働いているのか?気になって来ますが、こればっかりは化学、科学の領域のようです。私が知っているのは経験則に基づいたそれでしかありません。
この国の絵画、和紙や絹に描かれた作品が1000年を超えて伝わる秘密は、もちろん作品自体が大切にされて来たこともありますが、同時にこの国の優れた表具技術によるものにちがいありません。裏打ちの作業、「肌裏」をある期間をおいて、適期的に張り替えることにより、本紙を長く安定に保存出来ること、また張り替えることが前提だからこそ、乾いた時は密着して本紙を補強する働きを果たし、張り替える時には”水”によって簡単に”剥がしやすい”「生麩糊」の使用もそのためです。決して強い接着を求めてのそれではなく、逆に剥がそうとした時、剥がしやすいからこその選択であることをわすれてはなりません。水分を加えれば本紙をいためず簡単に剥がせる糊が求められているのです。<「無い」より始める日本画講座>で紹介した裏打ちの作業、「地獄打ち」など、もし、作業対象が国宝のようなかけがえの無い作品だったら、リスクばかりのとんでもない作業にちがいありません。よしんばもう一方の「迎え打ち」の作業にしたところで、本紙に水が着くということは、絵の具の剥落の危険が出てくるわけで、いくら剥がしやすいといっても、貴重な作品に”水”が着くことはさけたいものです。と、考えてくると、「裏からのドーサ引き」もドーサの働きが図中C:のような状態でもしあるなら、大変意味のあることと思えて来ます。はたして引いたドーサ液が実際どのように働いているのか知りたいところです。絵の具の溶き方も同様で、どのように溶けば固着力を強く出来るのか?、その時の膠の濃度は?、またそれぞれの絵の具に潜む灰汁の存在、その排除を行う手間、作業について。特に用途に応じた胡粉の作り方、扱い、金泥のアク抜きの方法などでは多くの伝承があります。素材の良さを活かした薄塗り、ひいては長い年月を生き抜く安定な定着のため、基礎的な技法の重要性があります。はたして何が正しいのか?現在のところ、正解はなかなかわかりません。ふと気づけば、膠や和紙、絹自体が変わっているのです。伝承の意味をそれぞれがもう一度捉え直し、またそれに経験を加え、現状にあった描き方を見いだして行かねばならないと思うのです。
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