森山知己ロゴ
7/1//2009  レポート

日本画実習法 第一編 総説

■ 川合玉堂が「日本画實習法」を著したのは、昭和2年(1927)、それから約80年過ぎた現在、「日本画」の何が変わって、何が変わっていないのか。
ふとした縁から手に入れたこの本、破れや虫食いを補修し終えました。気になる部分を備忘録がてら感想など。その1
 

第一編 総説     小見出しと要約

■<画の意義>
一口に日本画といっても難しい。古今の伝統流派を手がかりにと研究しようとしても、その起原、伝来にも異説、理論があったりで、それをもとに何かを言うつもりは無い。
ただ一般に日本画とはどんなものなのか、又どういうふうにして描かれ、どんな流派があるのかを述べてみたい。

絵は人の思想感情をもっとも巧みに表現しうる、最良の手段で、また便利なものである。だからこそ、絵を描く技術は、美しく高尚なものとなり、描くその人の品格をも表すものだ。

■<絵画と階級>
今の子供はよく絵を描く。それは奨励されるべき事で、その行為によって人間の心は美しく文化的に和らげられる。

それ故に、絵を学ぶ事は、金持ち、知識人のみのものではなく、一般民衆誰もが稽古するべきもので、どんな山間僻地に住んでいても心がけ次第で学ぶ事は出来る。

日本画を習う方法には、古来から規則だった順序方法があった。
基本は、臨画から入るこれまでの方法で、もう一つは、写生から入る西洋画風の方法。

臨画を基本にした学び方は、まず運筆の稽古を十分に行ったのち、古人の名作、粉本の模写を行う中で、自分自身の欲する画風を確立する。(ただし、なかなか難しいことではある)

■<流派の大略>
誰もが自分が一番、自分の流派が一番!と言うようになると、派閥争いよろしく、結果、残るのは形骸化した流派のみということになり、自由な芸術の世界は崩れる。

明治の訪れとともに、作家それぞれの目は開かれ、新しい世界に躍りだすこととなった。

■<新しい日本画>
流派の枠は取り外され、表現、描法は自由に習得出来るようになった。そして洋画とも、材料、用具の違いこそあれ、ほとんど違いの無いような領域にまで広がった。
一方、洋画も日本画に近づき、境界は無くなったかに見える。
世間では、こうした傾向を新しい日本画と呼ぶようになった。それ以来、日本画はますます洋画に接近し、よいところを学ぼうとしている。

ある意味、これは従来の日本画からの堕落とも言えるが、こうしたもの(洋画)を学んでから後でなければ、良い日本画を作り出す事は出来ない。

洋画も相互作用をもって向上する。後期印象派の線画は、日本画の線書きの影響が大きいと思われる。

■<両画の接近>
日本画と洋画が接近し和合することはよいことだろうか?

和合する日がもしかしたら来るのかもしれないが、私(玉堂)は、こうした新しい日本画の描き方ではなく、古い練習法によって一つ一つ覚えて行く、極めて穏健な又秩序的な方法でこの講座を進めるつもりだ。

第一は運筆の稽古。
土佐派、狩野派、四條、円山、文人画などの種別に拘束される事無く、一般の日本画の根底になるものを学ぶということである。

それは、例えば筆の持ち方から、絵の具の溶き方まで、初心者を対象に手を取るようにして描けるまで教えようということだ。

誰でもが稽古をすればうまくなる。稽古を忘れた人の末路は哀れだ。

■<日本画の練習法>
いくら熱心に行ったほうがよいとはいえ、その学び方、順序を知らなければ困難なことだ。
どうせやるなら効果的な方法、やり方をとるべきである。

浅く行うのは何事も楽ではあるが、奥義を極める事は至難の事だ。ゆっくりと、忍耐、辛抱をもってことを行う事。

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※印象に残ったのは、まず誰もが教養として絵を学ぶ意義を説明するなかで「階級」という言葉が入っていた事です。また、現在の日本画からほとんど消えてしまったかに見える<<「運筆の稽古」が、一般日本画の根底>>と書かれていた事でした。