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8/24//2009  レポート

日本画実習法 第四編 彩色法 二、附立法

■ 川合玉堂の著した「日本画實習法」はたして「日本画」の何が変わって、何が変わっていないのか。気になる部分を備忘録がてら感想など。その9
 

<附立法の説明>
これは淡彩色の絵を描く場合の一つの方法である。
※鶏を淡彩で描く場合の絵具の選択、描画、着色順、重要なポイントなどを具体的に解説。

附立描きは、昔は(弟子の)手をとって教えたぐらい重要だった。しかし、現在(この本が書かれた頃)、弟子全てにそうするわけにもいかず、学ぶ人間の理解力も高まっていると思うので、説明する。

附立描きは淡彩を没骨になおし、それに筆意をつけようとしたときに出来る。言い換えるなら、没骨の筆意が附立描きになる。

<筆意の出し方>
鶏を隈取法で描かず、濃淡も一筆で現すとすれば、附立描きにしなければならない。これは鶏の輪郭線を描かず、濃淡もつけず、一気に筆力でそれらのものを描き著わしてしまうことだ。
筆に水をまず含ませ、先の部分に絵の具をつけ、その濃いところで物の形を描きながら、筆の根元の水分の多いところで色のぼやけたところを同時に描いてゆく。そこには現そうとしているものの筆意が生じていなくてはならない。こんな技法は一朝一夕に出来る物ではないので、よく練習し、まず初めは有線の絵を描いてから後に無線の絵を習得すべきだ。

<一筆描き>
※具体的な鶏の描法について解説。絵具の選択、混ぜ方などの使い方、筆のさばき方、「柔らかさ」の表現について詳細に説明。

<その応用>
上記したように鶏の絵は附立法によって描く事が出来るが、あくまで、附立描きは筆意を現さねばならない。そして、こうした描き方を全てのものに応用しなければならない。しかし現代の日本画はこの行き方と傾向を異にし、没骨法をもって進んでいる。
たとえ線で描いていたとしても、それは単に描写方法の一つとしてとらえて用いているに過ぎず、全ては没骨になって行く形勢だ。
さらにいえばこの没骨も、描こうとしている対象の形の中を塗りつぶしただけではだめで、塗るだけなら職人にも出来る事だ。画家ならばそれ以上の相当の技巧を見せねばならない。さらに没骨法、描写法をつきまぜて描く面白い試みもある。


※ここまで57ページ。最後の<その応用>で書かれた部分に当時の玉堂の思いが現れているように感じる。自分が思っている日本画の方向性とは異なった動きが主流となっているもどかしさがあったのだろう。言い換えるなら、玉堂は附立て、筆意の言葉に現される筆ならではの表現にこそ日本画の有るべき姿を見ていたと思われる。

附立描きは、「淡彩色の絵を描く時の一つの方法」とまず最初に定義している。「日本画」に対する考え方の変化は、当時、発表される絵画が大画面化するのと”淡彩色”で描く絵が少なくなったことはおそらく関連があるだろう。次の項で書かれている極彩色の手法との対比の中に玉堂の想い描く未来があったのかもわからない。

加えられた絵を描く解説は、絵具の選択、混ぜ方、筆の運び、彩色の順序なども詳細に書かれており、それがあまりに具体的な事に驚く。タイトルの実習法の名が示す通りである。書籍を通じて積極的に伝えることを行い、社会から失われて行く描法の保存、継続を考えていたのかもわからない。

次回は三、極彩色法より