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10/30//2009  レポート

「仮面・精霊たちの微笑み」ほか 岡山県立美術館

■ 現在、岡山県立美術館では興味深い三つの展覧会が同時開催されています。それぞれ後僅かの会期を残すのみになってしまいましたが、遅ればせながら、やっと本日拝見する事が出来ました。美術館へ向かった当初の目的は<英国発、光と色彩の共鳴「ターナーから印象派へ」>展を見ることでしたが、同時開催の<おかやまアート・コレクション探訪「仮面 精霊たちの微笑み」>展が思いのほか面白く、また生誕120年を記念してという国吉康雄・坂田一男・小野竹喬・森谷南人子の作品を並べたコーナーも響き合ってつい?ご紹介をと思った次第です。
 

「仮面・精霊たちの微笑み」リーフレット表
>> 「仮面・精霊たちの微笑み」リーフレット表 (17.5KB)

おかやまアート・コレクション探訪
仮面 精霊たちの微笑み

二階の会場入ってすぐのところにつくられた特設の展示スペース。かなりの量が展示されています。

まず感じたのはそれぞれの造形がなんとも素晴らしい事!。形はもちろんの事、素材感、肌合い、大きさも含めてなんともいえず良い感じです。

祭祀に用いられたであろうそれぞれという事ですが、現在のアートシーンにも直結する、いやそれ以上の力強い何かの存在をいやが上にも感じます。エバ(エバンゲリオン)に見られた造形も、もしやと思う姿です。

展示されたアフリカ、パプアニューギニアの仮面、民族の信仰や観念、文化を現すそれぞれ。解説を読むと、岡山に住まわれているコレクターの方の所蔵品だとか!。

凄いです。

会期はあとわずかの8日までの展示。もし時間が許せばご覧になっておくことをお勧めします。なお、「図録、カタログなどは作られていないのですか?」と思わず受付の方に聞いてしまいました。残念ながら無いそうです。拝見出来る貴重な機会です。
 
必然の造形。近、現代が失った何を如実に感じさせてくれるように思いました。
 

 
生誕120年記念 国吉康雄・坂田一男・小野竹喬・森谷南人子 リーフレット表
>> 生誕120年記念 国吉康雄・坂田一男・小野竹喬・森谷南人子 リーフレット表 (22.73KB)

仮面に続いて二階会場に並ぶのは岡山に縁のある作家の作品。現代の作品も有りますが、その奥、なかでも生誕120年を記念してという国吉康雄・坂田一男・小野竹喬・森谷南人子の作品が集められ、一つのコーナーを作っています。

なかでも明治生まれの日本画家、小野竹喬、森谷南人子。
日本画と呼ばれる絵画は、描く時、水を使います。
では、水彩画と呼ばれるそれとどこが違うのでしょうか?

地階に展示されていた<英国発、光と色彩の共鳴「ターナーから印象派へ」>展、ここにも多くの水彩画が展示されていました。

その対比によって見えてくる存在。
風景を描いているにしても、あきらかに異なる価値観。
その根源となっているのは何なのか。
 

 
<英国発、光と色彩の共鳴「ターナーから印象派へ」>展リーフレット表
>> <英国発、光と色彩の共鳴「ターナーから印象派へ」>展リーフレット表 (16.46KB)

実は最初に見たのはこの<英国発、光と色彩の共鳴「ターナーから印象派へ」>展でした。ターナー作品自体の数は実は少なく、その周辺、同時代の作家に焦点をあてたといってよい展覧会でした。
まずは集められた水彩画の数々。
そして油彩画、パステル。

もとから色のついた紙への表現もありました。

そういえば、一時期、現代日本の作家たちもしきりに色付きの紙を使ったデッサンや、淡彩が発表されたこともありましたね。

今回、個人的にもっとも注目したのは、それぞれの画家のタッチ、いわゆる筆遣いです。

「筆遣い」と書いてしまいましたが、使う道具である「筆」と「ブラシ」の違いによって生まれる異なった結果、価値観の違いといったものです。

会場入ってすぐの静物を描いたそれぞれには現代のインクジェットプリンタ、網点を使った表現を強く感じました。あたかも手の痕跡、手によって描かれたというそのタッチをなるべく目立たぬ様、消そうとする試みです。ブラシによって打たれる「点」による表現でした。

筆意という言葉が有ります。たしかに西洋もこの日本にも筆、もしくはブラシに何らかの価値観をもって描いて来ました。命毛のある筆、だからこそなし得たその痕跡に求める何かの存在。

学生時代、講師のお一人が、自分の手の痕跡を忌み嫌う話をされたことがありました。結果、その方の表現には版画や写真の手法を絵に持ち込むことに繋がっていたと思われます。あまりに凄い先人たちの技を知るからこその言葉、取り組みと思われましたが、テクノロジが進歩した今だからこそ、ありのまま、痕跡の「出てしまう」素材と道具、描法の関係に、より面白さを感じるのです。

仮面の造形の凄さは確信に満ちたその形、制作の姿にも現れている様に思います。そして竹喬の絵具の塗り方は結局、風景への眼差しを独特のものにしていると思うのです。

仮面、、、、ペルソナ。演じる事によって知ることになる何か。演じる事とはある「見方」を手に入れる事でもあるのです。
そんな対比を感じる三つの展覧会でした。会期も残りあと僅か。