日本画実習法 第七編 風景画 六、風景画心得一般
<絵と場所>何処を写生するにしても、すぐにはとりかからず、まずはいろいろな方向から眺めて見て一番よいと思われる場所を選んでから描くようにするべきだ。そうしないと、せっかくのよいポイントが画面の中に入らなかったり、入っても悪い角度から描く事になったりすることがあるからだ。描く対象との距離の取り方についても同様である。<場所の組立><省略>絵を描く時、その画面上での構成を考えて実際には無いものを描き加えたり、またある場合は省いたりすることがある。古い日本画というものは、ことさらその作為が強すぎて不自然になっているものも多い。しかし、だからといってありのまま描けばよいかというとそうではない。描こうとしている画題、画趣にそって、それぞれ構成する要素を取捨選択し、場合によっては新たに加えて描く、これらの作業こそ日本画における絵の組み立てである。<郊外写生>(西洋画と比べると、日本画を写実とはなかなか言いにくいが)日本画もそれなりに自然を尊重して描いている。中央に立ち木、その後ろには雑木の茂みがあるような秋の郊外を、自然そのままに描くような場合。立ち木と雑木の対照をまず考え、附立法で立木の幹は二筆程度、枝は一筆で、筆意を見せて描く。注意するのは筆の勢いである。たどたどしく描けば立ち木の勢いといった雰囲気を損なう。幹と枝が出来たら次に葉を附立てで描く。筆に墨を含ませ、皿の上で幾分筆先をさばき、梢からはじめ、順に下に描き進める。このおり、省略法を用い雰囲気を重視する。葉を描くには筆の当たりを軽くし、かすらせる効果も加えて描く。ただし、この掠れの効果も付け足しと見えるようではよくない。筆の進み、全体の調子にそった葉の疎密を描き分けて、面白みを出すのだ。立ち木の後ろになる雑木の茂みは、筆に充分な水気を含ませて描く。最後は下草をさらなる淡墨、筆先を縦に置き並べる様にして左から右に描き出して行く。この時、筆あとがあまりに規則正しくならない様に注意する。全て墨の濃淡によって描くのであるから、絵画の品位と調和を保つためにも、どの箇所にも神経を通わせた筆跡となるように注意して描くことが大切だ。<絵の総合>いくつかの異なった写生を組み合わせて、一枚の絵を描こうとするような場合、つなぎ合わせたことによる不自然さを感じさせ無いことはもちろんとして、あえて組み合わせることによって、より以上の美的感情を醸し出す作業の中にこそ、絵を描く上での大変重要な要素があることを見つけ出さねばならない。無理をして組み立てた絵は、直感的に見て不愉快である。それを論理的に説明した所でなんの意味も無い。彩色法や描法は絵を作る上で大切な事には違いないが、先ずは、描こうとする絵の構図を考える時、その題材の組み立てに注力せねばならない。それがよい絵になるか悪い絵になるかは、この段階で決まってしまうからである。言い換えるなら、少々未熟な画力ではあっても、構図さえしっかりしていれば、それなりの絵に見えるものである。例えば、松の木の写生をもとにして一つの風景画を描こうとするような場合。1、主役となる松の木を画面やや右に配置してみる。何故そのようにしたかといえば、中央では変化が無く、几帳面な感じがして硬く感じるからである。2、松の木一本だけでは絵としてなりたたないので、何本か左右に加えて画面を広げる。3、下の土を描き加え、画面下部に変化を与える。4、絵の中に深さを加えるため、松の木の背景に森を加える。5、加えて遠景として高い山を描き、絵の大きさを表現する。6、描き込みの密度が上がった中央から画面上部に比べ、弱く感じられる画面下部に灌木を加えてバランスをとる。このようにして一枚の絵の道具立てを組み上げる。<組立風景画>上記で説明したような絵は、単なる写生画では無い。これを組立風景画と呼ぶ。組立風景画の彩色。1、附立法によってはじめに松の木の幹と枝を描いたら、次に緑色に少し岱赦を混ぜたものを大量に筆に含ませて松の葉の茂っているのを描く。この時の描法は、附立描きと没骨描きの中間あたりになる。この緑色は絵の重要な要素であるから、筆を馴らしてから描くのはもちろんのこと、軽はずみにかかないようにすること。松の葉の茂りを描こうとするときは、順序として同じ松でも高い位置から始め、梢からだんだん下に描きおろす。松が描けたら、次に土を描き、後ろの森を軽く濃淡をつけて描き、そして遠景の山を濃い藍色にする。この絵の場合、中景は遠景より非常に淡い感じになっている。それに対して遠山の藍色が強く感じられるが別に不思議ではない。もしこの場合、中景を濃くしたら、近景との対比がより強調され、硬くなり、却ってまとまりの無い絵となってしまうからだ。絵を描く場合、論理性だけではいけない。古来山水画が雲煙によって中景を簡略化したのも同じ理由からである。遠山は、山の輪郭、藍色の濃淡、山の厚みを表現するため、その変化に留意する必要が有る。山の描法は、淡藍を含ませた筆先に濃藍をつけ、左から右に描きすすめて濃淡を巧みに出す。またその色が乾かないうちに濃藍にて山の中程と左方に強い皺を入れて山を引き締める。<前景の描法>次に前景に移り、中央の松林の下部を落ち着かせる様に地上に灌木を描き加え、それに土地の枯れ草を思わせる様にガンボージに代赭を少し混ぜて、塗るというよりも附立てによって描く。これで一通りの彩色を終わるが、より強い彩色を試みるなら、松の葉の緑の上に百緑をかけ、山の藍色の上にも白群青をかける。これまでの山水画はいわば型によって描かれて来たものであった。山でも水でも定まった方式で描いていたのだ。次に田舎の風景を、線描き、没骨、附立て等すべてを総合して新しい試みとして描いてみる。単色で風景画を描くと、一見、水彩画のように見えるが、これは没骨に陰影を附けたに過ぎず、必ずしも水彩画をまねた訳ではない。また従来の日本画にも無論単色で陰影をつけたものもあるが、その程度は水彩画ほど鮮明ではない。水彩画は全てのものを鮮明に描き出そうとするが、日本画はいつも淡いときが多い。日本画の陰影は説明的ではなくその感じがでれば良しとするのだ。<田舎の描法>町外れの写生を組み合わせてやや高い所から見たような風景を描く。画面には小川が流れ、その向こうに二軒の家があり、その間に一つの橋が掛かっている。流れによって出来た川岸の屈折は画面全体に豊かな動きを加えている。1、まず家から描き始める。野趣に富む草屋の感じは筆付けもざらざらとした感じで描く。2、川岸を淡墨のあとを見せながら上から下へ描きおろす。そのおり、掠れが出来たりすればしめたものである。川岸にいっそうの表情を加えてくれるが、こういったものはあえて作る様な性質のものではない。それらが生乾きのうちにやや濃い墨を用いて水際をはっきりとさせておく。結果、生まれる滲みがまた絵に面白さを加えてくれる。この時注意するのは手際である。乱暴でもいけないし、慎重すぎても面白くない。中間をとって運筆する。3、遠山をつぎに描く。手前の山に木が茂っている感じにするために、生乾きの地塗りの上に淡墨で木を描きそえる。当然、墨は滲むが、この滲みによって柔らかい調子で山腹の森を表現することを助けてくれる。4、川に釣りしている人を描き加える。笠と竿と籠は淡墨で描き、着物はこの絵で最も濃い墨を使って描く。何故、この様にするかと言えば、この人物こそが画面の中心であり、画面にリズムを作るポイントとするためだ。人家の屋根に濃墨の点を打ち、土地にも所々に点を打ち、苔の表現とする。これらによって絵は引き締まる。5、川の両岸の杭を描く。次に落葉した灌木を下から上に岸をたどりながら描く。このおり、墨の濃淡については一律にならない様に苦心すること。6、川の流れを現すために淡墨の掠れを入れ、最後に中墨で、家の後ろにある杉の木立を描いてこの絵を完成とする。この絵全体を通して重要な事は、墨色の統一である。<墨絵の調子>墨彩を中心にした絵は、彩色の絵より調子をつける事が難しい。また、時間の描き分けについても同様である。一般に、日中を描いたのか、それとも朝夕なのか、どうとでもとれるものになってしまいがちだが、それでも朝夕の区別ぐらいは日本画でも描き分ける事は出来るものである。<彩色画の調子>以上、墨による表現を試みたが、これを彩色によって行おうとすると、季節は冬、晴れた清々しい日の感じをだしたい。土は黄土色、遠山は景色をぼかし、水はわずかに淡墨の隈取りとして光を受けた水面の表現とする。家屋と杭とは代赭色をほどよく塗り、土に生える灌木は、代赭に墨を加えた色で塗る。家屋の後方の立ち木は淡い緑とし、点景となる人物の籠と笠に薄い代赭を塗って、着物には群青を用いて絵を引き締める。このようにすれば、冬の日中の表現は無論出来る。土の黄土に墨を混ぜて日没の感じとし、遠山には紫を、空にはきわめて淡い黄色にごく少量の洋紅、もしくは臙脂を混ぜたものでぼかし、流れを淡い黄色で描いてその感じを出す。また、空の色をやや赤くして、紫のごくうすいもので横雲を加えれば、朝の景色となる。この時、人家のあたりから白い煙などたっているところを描き加えればより効果的だ。また、遠山をごく淡く描き、点景人物に蓑など着せれば雨中の景色ともなる。このように風景には朝には朝の、夕には夕の特徴と言ったものがあるもので、それが表現できていなければよい絵とは言えない。昔の中国の絵描きもそれぞれの季節の特徴について解説している。春の景色の特色は明媚にあり、夏の景色は極翠に、秋は明浄に、冬は暗淡にありとあり、絵を描く者にとって一つの自然の見方を教えてくれている。※ここで136ページ具体的な絵を描く作業、例題を通して、日本画による風景画を定義付ける項となっている。洋画とはどんなもの、水彩画とはどんなものと定型化した紋切り型の決めつけも見られるが、それは日本画についても同様のことである。言い換えるならその違いについて悩まなくても済んだのだ。具体的な絵の具、筆遣いについての解説は、最後にも紹介されているが、自然の見方そのものでもある。一度ではうまく行かないにしろ、実際に試して描く事で何らかの共通体験、価値観の共有に向けた取り組みとなっていたに違いない。これらは、先人の描いた絵を理解する上でも重要な意味を持っている。(古くからの)型というものを一方で否定しながらも、こうした具体的な作業の紹介は、ある意味でまた異なった型を提示していることに違いない。型とははたしてどんな存在なのか?、社会との関係性が美術において抜きがたいものであるならば、今日的な捉え方でその意味についてもう一度考えてみる必要がありそうに思う今日この頃である。次回は、その七、支那の風景画法 より
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