森山知己ロゴ
3/16//2010  レポート

日本画実習法 第七編 人物画法 一、人物画一般

■ 川合玉堂の著した「日本画實習法」はたして「日本画」の何が変わって、何が変わっていないのか。気になる部分を備忘録がてら感想など。その23
 

<人物画の困難>
人物画は、これまでの花卉鳥獣、風景画と比べて、もっとも困難で面倒なものである。今後人物画を終える事が出来たら、ひとまず日本画の代表的な描き方は終了となり、日本画に対する理解をもった研究者となることが出来る。

<態度>
一通り日本画の事がわかったら、これらのものを基本として一人一人が腕を磨いて行く事が必要だ。
絵はほかの学科と異なり、頭で知っているだけでは駄目で、それを技によって表に現す必要があるため、技の習得に励まなければならない。また、これで終わりという事も無くいつまで学んでもつきないのが絵の道である。

<まず勉強せよ>
絵の習熟には、決まった過程を終えたからそれで終わりといった事は無く、また同じ事をしようとしても、人によって取得にかかる時間も変われば、その出来映えも変わる。結局、早く絵の道に習熟しようとすれば、各々が知識を充分につけた後、技術の錬磨につとめるより他は無い。

<人物の困難な理由>
人物画は、これまでの花卉鳥獣、風景画のように、見た形を現しただけでは面白くない。人物画にはそれ相応の「意味」が求められる。
人物画の表情とは、この意味を表現できているかどうかである。

<表情の描法>
人物画には描こうとしている人物の気持ち、心持ちを描こうと試みるとともに生命感もとらえなければならない。
人物画を描くとは、なによりもまず生き生きとしている様を現す事である。
これらを人物画の表情と言う。

こうして「生命感」「生き生き」と言葉で書き記したとしても、実際には解らないのが当たり前だ。ただし、これまでいろいろ勉強したきたからにはなにかしら汲み取る事はできるだろう。

絵には精神がこもっていなければならない。
精神がこもっていれば、自然と絵には生命感が出、結果絵の中に描かれた表情も生き生きしてくるのである。

<人物画の重要>
洋画はことに人物画を重んじる。人物画さえ描けたら他のものはなんでも描けるというほど極言される。洋画における人物画の練習は、多くの場合裸体であって、曲線美、肉体美を写そうとつとめる。
一方、日本画では主流は裸体ではない。古来の人物画表現は、着物を主体とする事によって補足されて来た歴史がある。昨今では裸体も扱うようになったが、平面的な塗り方を基調とする日本画では、洋画の様な立体的な表現を行おうとするには無理が有る。着物をあえて描くことによって表現を補足してきた歴史には、それなりの意味があったと思われる。
一方、洋画に眼を移せばその描法は至極簡便で、裸体の描写に適した素材と感じさせる。

<写実と精神>
日本画は、自然そのままを絵にする事は出来ないとすでに述べたが、描こうとする自然の意を汲みその精神を失わない様に描けばよいのだ。よってある場合は自然を改変する事になるが、それでいて出来のよい絵があるのは日本画がその精神を捉えるのに妙かつ巧みだからである。
ほとんど自然の形を無くしているかに見える古画に、生命感、活気、その精神が現れているのはこのためである。一筆二筆で何事か表現できるのも同様である。

<自然の本体>
だからといって、日本画は自然の描写無しに出来るかと言えばそうではない。いかに名筆を揮うにしても始めは先ず自然の写生から入り、その精神をつかむ様にしなければならない。
人物画も同じである。


※ここで147ページ
抽象的な事柄の紹介に終始した項である。言葉を扱う難しさを知り、幾多の段階を通り過ぎて来た現在のアートと比べると、この言い切りは爽快なほどだ。
人物の立体的な写実表現の洋画と、平面的な描法故に独自の価値観を持つと安易に決めつけられる平和さも感じる。描法と素材との関係を分離できていない一方、平面的な表現であるが故に、着物の表現によって精神の補足を行うというくだりには、今日的な面白さを認める事が出来る様に思う。

次回は二、人物写生の心得 より