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3/30//2010  レポート

日本画実習法 第七編 人物画法 三、美人画法

■ 川合玉堂の著した「日本画實習法」はたして「日本画」の何が変わって、何が変わっていないのか。気になる部分を備忘録がてら感想など。その25
 

<美人の描法>
※中国、唐時代頃の美人が散歩している様子を描く実際の作業
線描き
1、線描筆に中墨を含ませ顔を描く。
2、頭髪の輪郭を描く。
3、襟と肩を描く。
4、領巾(ひれ:奈良・平安時代の女性の装飾品。 古代、盛装の時、身分の高い女性が、首から肩に掛けて左右に垂らして飾りにした細長く薄い布。wiki)を除いて、御の線と右手を描き、再び戻って肩にかかっている頭巾の線を描く。
5、袖の下から出て地面に引きずっている左右の領巾を描き、腰部にまとっている衣を描き、足に絡んでいる袴の線を入れ、さらに筆を盛り返して衣の前に下がっている飾り紐を描き、最後に右手にもっている団扇を描いて線描きを終わる。

背景にある岩は、附立法によって中墨で上から下へと筆の擦れを作ることで岩肌の表現とする。

彩色
1、頭部、髪を濃墨で彫塗りする
2、上衣を雌黄に朱を少量混ぜて樺色を作り塗る。
3、裳(も)<十二単を構成する着物>は淡い白紅
4、領巾(ひれ)の裏を緑青で塗り、表を薄い紅色(桃色)で塗る
5、裳(も)の飾り紐には群青を淡く塗り、輪には緑青をつける。
  付いている細い布には濃い紅をつける

このとき、筆に付いた紅色をそのまま団扇の柄と襟の模様として塗る。
襟模様の雲繝彩色(うんげんさいしき)の下塗りの桃色は領巾の紐と同じ時に描いておき、次に白緑と群青で模様のすべてを描き上げる。

図柄は胡粉で菊を描き、その周りには白緑で点を打つ。団扇の面には水金を平塗りし、柄の紐は群青で描く。
頭髪の飾りは白緑で塗り、口には淡紅、眉毛、眼には濃墨で線を加える。

<色と調子>
附立法による現代女性の描き方
1、形の当たりを取ったら、附立筆に淡墨を含ませ、女の顔と半襟とを描き、次に濃墨で髪を描く。このとき、前髪と鬢を描き分けて束髪をあらわし、次に全体のふくらみを加える。
2、着物の襟から肩にかけてを描き、足袋の線と草履を描く。
3、背景の木の枝を描く。このとき、帯を描く時と同様に調子に筆意を見せ、着物に変化を付けるために襟、袖あたりに墨の滲みを作ったり、腰や裾に皺を入れたりすることを忘れてはならない。

墨書きが終わったなら彩色をする。
先に説明した線描きに彩色する場合と異なり、このような絵では色は平塗りとする。

雌黄に朱を混ぜ、それに胡粉を少し溶かしてリボンを描く。
群青で半襟と袖口と裾、草履の鼻緒を描き、朱筆で帯上げ、袖、蹴出し等を描く。
筆を改めて緑青で帯全体を輪郭を塗らない様にして描き、草履の表を同じ色の薄いもので描く。
髪の飾りと半襟の模様は金泥で描き、帯の模様には薄く使う。
全て人物が描けたら、最後に背景の木の新芽を草汁で描き仕上げる。

<人物の各部>
人物描写の全体像についてはすでに説明した。
ここではより具体的な細部について説明する。

顔の描法:人物の難しさは、各人各様の顔の様子を描き分け、喜怒哀楽を表現することであるから一筋縄ではいかない。
<人物の型>
農民には農民の、役人には役人の特徴があるように人物顔面の一般描法について。

<人物と特徴>
職種、各人各様の特徴の描写を成功させるには、普段から絶えず鋭い観察眼をもってものごとにあたる必要がある。「らしさ」というものを捉える事が重要なのだ。

<表情>
勇み肌の職人と田野で自然と親しんでいる農夫を描きわけようとすれば、農夫は表情、姿勢ともに温和な感じとなり、職人はどことなくせわしなくそれでいて鋭敏、官能的な表情をして動きのある姿勢をしている。

顔もそれと同じで、年齢の違いが顔の色形の違いとなってそれを特徴づける。
それら当たり前に感じる事を表現しようと試みる事が大切なのだ。

<絵と人物>
しかし、美人と老婆、美人を描いた方がよい絵になると思うのは考え違いである。
何を描いても、そこに生き生きとした生命観が表現できれば絵の価値は自ずと現れてくるものである。

髷をゆった女は、描くと頭の格好がかたくなる事が多い。ここに柔らかみを出すように注意すべきだが、昔の画家の様に女の髪の生え際を、髪を一本一本並べる様に描くのは、あたかも糸が並んでいるようで、美的でなく、わざとらしいばかりだから新しい試みをしようとする人はやらない方がよい。
毛描きは手数をかけて描き加えれば加えるほど硬くなってしまうものであるから、描く時はひと息で軽くかかねばならない。


※ここで159ページ 「美人画の描法」といいながら何が美人画なのかは周知として触れられていない。当時はまだ当たり前の画題だったのだろう。この項でも絵の具の混ぜ方、塗り方まで迷いの無い具体的な行程が紹介されている。同時に「型」という言葉で姿勢、表情など職種、老若の特徴描写についても言及されており、「お手本を模写するように絵を学ぶ」ということがまだまだ当たり前だった事が伝わってくる。

今となっては当たり前の事が多く、観察や取り組みについてのこれと言った箇所はなかったが、一方、描く実際の作業、具体的な混色についての説明、また塗り方の指定等の微に入り細に入った解説をみるにつけ、当時、絵を学ぶということは、実はこのようなかたちだったと改めて強く感じる項である。
この本が書かれた昭和二年、(新しい日本画を学びたい)地方在住者、また独学を余儀なくされた人間にとっては情報も少なく、また新しい時代の指導者もなかなか身の回りに見つけにくい状況があったのだろう。ある意味で玉堂の伝えようとする意気込みがこのような所に現れているのかもわからない。




次回は「顔の描法」より