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4/15//2010  レポート

日本画実習法 第七編 人物画法 四、顔の描法

■ 川合玉堂の著した「日本画實習法」はたして「日本画」の何が変わって、何が変わっていないのか。気になる部分を備忘録がてら感想など。その26
 

<男子の顔>
老若における顔の趣の違い、頭髪の量等の違い、特徴を捉えて描くこと。
 
<手足の描写>
手足も顔と同じく人間の気持ちにそって動くものであるから、そのことに注意する必要がある。たとえば怒った人は、はたして手足をだらりとしているだろうか?、はたして怒っているのは顔だけなのか?、眼をむきだすと同時に手を振り上げているとか、握りしめているとか、描こうとしている対象、人を表わそうとして描写することが大切だ。また、仙人のような虚心坦懐の人物を描く場合はだからこそ難しい。描こうとしている仙人の気持ちを考えて表現する必要がある。

<人の顔>
人の気持ちといったものは、顔やその表情だけに現れるものではない。
たしかに主に顔に現れるのはたしかであるが、手足の動き、動作の中にも一種の表情といったものが存在する。
顔の表情、手足の動き、ポーズといったものは相互に関係しているのだ。
手足は顔に比べて大きく自由に動かせることができる、これはとりもなおさず表現の幅を大きくできることでもある。

<手足の型>
男の手はゴツゴツと硬く、女の手は柔らかいといった一般がいだく感覚の共有も大切なことである。また、手足の所作が持つ意味、演劇等で重要視される表現がここにある。たしかに、モデルとする対象が頑丈な姿形をもった女性という場合もあるが、特別な場合で無い限り、一般的な表現(一般に女性らしく見えるように描く事)も大切である。

眼、口、耳も注意して描く必要がある。
顔は心の鏡で、眼は顔の鏡である。顔がこころを映すように、眼も又顔を映すのである。美しい顔の人はその眼によって代表される。だからこそ、その描法も大切なのだ。

<眼の型>
眼が生きていればその顔は生き、したがってその人物画も生きる。生命感の無い眼を持った人物は、いくら描法を頑張ったところで活きいきとはしない。すなわち眼の死んだ人物を生かして描くのは困難である。ただし、これは病人や死人のそれをいっているのではない。それらはその感じをを描く事でまた素晴らしい絵画になる。

<眼の描法>
眼を描くときは、眼の縁をきっちりと描く事をさけねばならない。
あまりにきっちりと描けば、似顔のように硬くなる。

眼の縁は薄い線で先ず描き、あとでより濃い墨で細く、もしくは暈して描く。
眼の下の眼縁は描かず、眼の玉の下の輪郭でその境界を現すのがよい。
そうすれば、眼全体が潤いをもって柔らかくなる。また睫毛は描かない方がよい。もし描きたい場合は、上の眼縁を濃くし、暈せばその感じがでる。
強いて睫毛は正確に描こうとすると却ってぎこちなく見える。

眦(まなじり)を上げて描くと強くみえるが、上げすぎると却って卑しく見え、また下げすぎると愚かで道化てみえる。それでも上げたよりもかえって下げたくらいの方が品よくみえる。
美人を描いて、横目にすると非常に艶にみえるが、もしやりそこねると猥りがましいものになる。

<口の型>
口も顔の表情に大きな関係があるものである。
例えば怒った表情なら口も歪んで歯を食いしばる。激怒の場合なら下唇を噛むこともある。また軽い怒りなら口元の緊張といった表現もある。
また笑い、悲愁、勇気をも現す場所であることを知るべきだ。

眉は昔は幅広くうすく描いたが、今は無論そんなことはしない。
濃く太い眉は強く見え、細いものは弱く、うすいものは下品に見える。
女の眉は俗に三日月型とされ、尊ばれたが、美人を描くならふっくらと柔らかい眉を描いた方がよい。

<鼻の型>
鼻の形はさまざまで種類も多く類型化する事は難しい。まずは正確に描こうとするのがよい。描いている顔に調和する様に気をつけて描く。

秀でた鼻は活発に見え、低いのは愚かしく、形の悪い鼻は下品に、形の尖ったのは上品に見える。



※ここで166ページ。これといってあえて特筆する事もないと思われるが、この項では、絵は人に見せて完結というようなことを考えた。美人とは、生きているとはといったそれぞれを「見た人に伝わる様に」描くときに、代表的な姿といったものが存在し、そのことを写生で発見するためにも、これらのことを学ぶ意義があるということだろう。(特徴的な要素、描き分けの具体的な部分も書き出した。)

次回は 五、人物画法心得より