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5/2//2010  レポート

日本画実習法 第七編 人物画法 六、略画法

■ 川合玉堂の著した「日本画實習法」はたして「日本画」の何が変わって、何が変わっていないのか。気になる部分を備忘録がてら感想など。その28
 

<描写の省略>
忠実にかつ正確に物を写すということはある程度までのことで、それ以上になると誰もが難しいという段階がある。例えば鯉の鱗の数を正確に再現するといった事である。
このような場合、どのように描けばよいのか。無論、観察を充分にして、その絵を見たときに不自然でないころあいを見計らって描く事になる。自然は画家を拘束はしない。だからといって初めから省略した絵を描くべきではない。描く技量と、頭の成長を待ってのことである。

<省略と特徴>
いくら省略だといっても、そのものの特徴を失っていてはならない。

<一部の省略>
省略方法には、その一部のみか、もしくは全部かといった選択がある。

例えば桜の木を描くとき、その枝、その枝に着く花をどの程度まで描くかと行った場合、全ては描けないので、それらしく見える程度で描くのを辞めると行った場合は、一部の省略という事になる。

<全部の省略>
たとえば群衆の表現、たとえば植物の葉、絵になる箇所を選び取捨選択して描くのは一部の省略。一方、墨絵の山水を描く様なとき、全てを写生風にしたのでは面白みが無い。また通俗的だ。
一気に筆数を少なく描こうとすれば、省略は必然となる。自然のあるがままを写し取ろうとすれば筆数を少なくは出来ない。山の形も水の流れも実際より省略して描き、なおかつそこには実際とおなじような感興を湧かす。これが全部の省略法である。

<略画>
省略することは難しい。だれもがちょっと気を利かせれば出来る様なレベルのものではもちろんない。
筆が堂に入ってからで無いと、描いた所で形の変なものしかできない。
略画と言えば単に筆数を少なくした絵のように考える人もいるが、ここでいう略画とは、すなわち筆を省略して描いた絵は、そのようなものではない。
略画とは、略すべき所にそれ相当の面白味と技術が現れたものであり、単に筆数を少なくして描いたというものではない。
技術が進歩したら、省略法による略画も研究すべきである。



※ここで172ページ
何気ない言葉ながら、「筆が堂に入ってから、〜」という所がポイントか。
絵を描き続けていれば、どの話もしぜんと直面する事ではある。