絹本制作と裏彩色 その1
左画像の中で一番古いのは、1981年秋に工作社から発売された 遊(ゆう)という雑誌です。ジャパネスク特集、秋の臨時増刊号でした。私がちょうど大学院生の時です。大学生協で「誰かと日本の話がしてみたい」というキャッチに惹かれて手に取ったこの本の中、「絵師若冲の鶏」と題した8ページにわたるカラーの鶏図特集が目にとまりました。
自分が描いているのは、はたしてなんだろう?「日本画」という言葉に対する疑問が自分の中でとても大きくなった頃だったのです。この本はそのおり求め、現在も手元にあります。結局その後の学生時代は悩みの中、その当時の一般的な材料、描法を使い描く中、何かが違うというもどかしい思い、もんもんとした時間を過ごしていました。
左画像は、1989年の個展で発表した「牡丹」です。大学を卒業した後、材料や描法の研究を積極的に行い、その結果を見せる個展を行う様になりました。歴史を遡る試み、かつてあった描き方、かつて使われていた素材を積極的に試すようになったのです。 ちなみにこのおりは絹を積極的に使う様になって2度目の個展でした。雲肌麻紙以外の和紙、薄い和紙に描くことから始まった探求でしたが、過去の作家の方々が絹に描かれた作品のあの「やわらかさ」を手に入れたいと思う様になってしばらくたった頃でした。 絹本に描くことをスタートした頃、表具後の結果をみてはがっかりすることが続きました。思った様な「やわらかさ」とならないのです。絹枠に張って描いていたときと異なり、裏打ちによってコントラストが上がり、自分の意図しない硬さが現れて来てしまっていたのです。これは絹本が描く時裏側が透けているということと関係があるのですが、表具、裏打ちによって変化する色、明暗まで計算に入れた描画が求められたのです。もちろん、上記の事を計算した描画、表現が出来れば一番良いのですが、織物としての絹の縦方向の収縮も含め、経験不足、絹に描く絶対数の少なさから、当時そこまで配慮することが出来なかったのです。描いている時は、絹枠の裏側が透けており、画面がワントーン落ち、結果的にコントラストも下がるわけです。表具の時、裏打ちとして裏側から白い紙が張られると、絵の具を塗っていない部分、もしくは薄塗りの部分はより明るい調子となるのです。完成時、裏から色の着いた紙を貼ればとも考えて試しましたが、それなら「裏から色を塗ってしまえばよいのでは?」と思いつき、画面全体に裏からワントーン落とす絵の具を作り塗る試みをはじめました。私にとっての裏彩色の始まりです。結果、思う様な「やわらかさ」を手に入れる事が出来たのですが、そんなおり、表具をしてくださる専門の方から「こうしたことはしないほうがよい」というアドバイスを受けたのです。「裏彩色」のメリットとしては1、表面から塗る絵の具の層を厚くすることなく、複雑な色表現が行えることにあると思います。しかし、本来なら脆弱な素材である紙や絹といった基底材に描かれたこの国の絵画が、1000年以上に渡る長い年月を維持され残すことが出来たのは、「表具」の存在があってこその事と知ったのです。 その後、今年になっていろいろと粉本や臨画など、日本画学習について調べるうち、模写指導で活躍された林司馬さんの<画面全体の絵の具の厚みをそろえたほうがよい>といった指導の言葉にも出会いました。絵の具の塗り方、重ね方、厚み、それぞれ絵の具の発色に影響します。透ける絹素材なら尚更の事なのです。
薄い紙や絹本への制作では、100年程度の間隔で表具、肌裏を新しくするのが当然の作業だったのです。裏打ちの紙を新しくする事によって本紙(絹)を補強しなおすことが出来、新たな命、強さを取り戻し伝えられて来たのです。表具をやり変えるとなれば、当然、多かれ少なかれ絵は水に触れ、さらされる事になります(水を使わない修復方法というのもあるそうですが、、、)。裏からの水、裏彩色は水に触れる事になり、また古い肌裏を剥がすおりどうしても裏彩色が取れてしまう危険性が出てくるというのです。この私の「やわらかさ」を求める為の裏彩色であるならば、肌裏とする和紙を染めてトーンを落とした肌裏を作れば良い事になります。しかし、試行錯誤を重ねるうち、いつの間にか私の試みは裏箔をしたような効果を作り出す裏彩色となっていたのです。もし仮にある程度落ちることがあっても大丈夫なような工夫を加えたことはいうまでもありません。明治、大正生まれの表具職人の方々に教えていただいたノウハウ。材料を使う、技法を考える上でとても重要な出来事だったように思います。また、2007年、相国寺承天閣美術館で行われた若冲展のカタログで若冲が黄土の具を裏彩色に用いていたということを知ってうれしくなりました。結果的にこうした効果を出すのにこのやり方が有効と、すでに試みていた事だったからです。
1994年3月〜6月にかけて、東京の宮内庁三の丸尚蔵館で「花鳥の美-若冲から近代まで-」という展覧会が開かれました。 あの!伊藤若冲の動植綵絵が30幅出品されると聞き、三ヶ月にまたがっての展示でしたが、若冲見たさに通いました。しかし当時は、今ほど一般の方々に若冲が知られてはおらず、日によって展示会場には私を含めて数名しかいないという事もあり、ゆっくり思う様に観覧する事が出来ました。当時求めた図録を見返すと、宮内庁が持つ陶磁器など工芸品の素晴らしさをあらためて思います。半端な絵描き等足下にも及ばない絵付け、漆意匠の凄さです。この国の競争力、美意識。時代と言ってしまえばそれまでですが、教育との関係を思う所です。 当時、刺激を受けて描いた一枚が上記画像の「蛸の夜」です。北斎の蛸なども念頭におき、10本足にして遊んだ事も思い出されます。江戸の価値観をもう一度見直したいと思っていた頃でした。
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私の場合は、学生時代に書籍で見た伊藤若冲作品との出会いが絹を選ぶ刺激になったように思います。