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2/22//2013  材料技法

この国の価値観・再発見ワークショップ

■ 岡山県立美術館で講師をさせていただいている「価値観再発見ワークショップ・第二回」が先日、行われました。年度の終わりに際して、一回目、二回目のまとめと、今後があれば?の展開について。
 
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左画像は、岡山県立美術館でのワークショップ「毛筆という道具」の参加者募集のちらしです。この国の価値観を再発見するということをテーマに何事もわかりきったこととせず、現在の自分たちの言葉で、また体験で理解してみようという試みです。

私自身が「わからない」から始まり、「知りたい」自分なりに納得できる答えが具体的に欲しいと、実際に描いて試し、探してきたことを、できるだけわかりやすい形、誰でもが試して確認できるような<作業>に展開しているワークショップです。


 
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第一回 まずは材料・道具の「そもそも」

「メディア=記録する道具」と捉えて、何故、何が求められて墨がこのような姿になったのか?、同様に紙や絹という支持体に求められたこととはどんなことだったのか?
それぞれがプリミティブな頃に思いを馳せ、時には実際に再現してみたり、また想像力を駆使してもらう実験を行います。もちろん記録する道具としての「筆」に原始的な時代求められたことはどんなことだったのか?。また、その後の発展、技術革新で行われたことは何だったのか?。このサイト内、「運筆の秘密」で紹介していることを、実際に試して理解してもらう試みです。多くの方々は、普段そういった見方で暮らしていないからこそ、発見を楽しめるのではないかと思われます。また、もう一方の硬い素材、文化、価値観が意味することも同時に見えてくるのです。

 
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実際に試して描いてみる。

ワークショップならではの体験が「理解」をより具体的なものにしてくれます。
「運筆」が「形」の問題だけでは無いことを実感するのです。

「王羲之」の「入木道の話」を具体的に体験するプログラムを考えてみました。筆慣れで描く、表面だけの筆使いとの違いを体験すると、美術館の絵がまた違って見えるようになります。鑑賞のための一つの手がかりを作ることにもなっているのです。日常的に行われる表面的な評価とは違った価値観の再発見に繋がっていれば幸いです。
 
筆を動かす「速度」に見る時間の存在。筆先をセンサーとして感じ取っている事、そのコントロール、移動の痕跡は、描き手の生きた証、存在した具体的な時間表現になっているのです。

柔らかい素材を使うことの意味、硬い素材へと変化した意味、そしてそれぞれのステージで「水」のはたした役割とは何か? 次なるテーマは、「水」へと進みます。
 

 
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左画像は、第二回「墨と水で作り出す世界」の参加者募集のチラシです。

第一回で、原始的な時代に材料と道具に求められた事と、その価値観に応じて行われた技術革新を時代を追って捉えようと試みました。かつて<どのような価値観で作られ><どのように使うべきであったか>を確認したのです。文明の発生、ほぼ変わらぬ価値観で作られ、使い始められた存在。そして時代が進み、地域・風土との関係、この国、日本なりの使い方、変化が現れてきます。

「意識された時間表現」の発見です。

 
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まずは、プリミティブ!誰でもが「時間表現」が可能であることを体験します。

筆の持ち方、「運筆」の説明も加えて。
(※こうした美術館でのワークショップ、毎回同じ参加者とは限りません。その回だけの説明・解説では、つながりをもった存在であることがわからなくなってしまいます。歴史とか、伝統のある価値観を伝える難しさです。)

 
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使用する材料の選択を工夫することで、誰もが伊藤若冲の専売特許のように言われる「筋目描き」が簡単に出来る事を体験します。

確かに筆を普段使うことが少ない。使うことがない参加者にとって「形」の問題はついて回りますが、この「形をうまく描くことこそ修練の賜物ということに気づくことになるのです。また、絵の中にある計画性ということも意識されるようになります。
次はこの発見を自分の創作の中にどのように用いるか?

 
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横に置いた、もしくは前に置いた試行錯誤。それこそが記憶。今日的な作品になることをあとで知ります。
「扇型」が生み出す「編集」という考え方にもまた今回触れました。

黄金比を元にしている一般的にF・P・Mなどと呼ばれる西洋的な矩形の形との違い。西洋の近代絵画が写真というテクノロジの普及によって相対することになった「時間表現」との葛藤。それに対するこの国のアートのあり方・価値観の所在。「余白」という考え方。

この国のアートについて、「時間表現」という切り口は、今日なりの提案、コンテクストを提示出来るのではないかと思っています。

 
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第二回はここまで。

最後に、トリミング、裏打ち、飾り方の話をしましたが、コチラだけでも一回分以上の話があったりします。何度も言うことながら、相手にしているのは、一人の人間が生きるよりずっと長い時間、価値観の歴史なのです。

左画像は、先日の猪膠を使って作ったプリミティブな墨を使ったサンプル描画の様子です。

次は、滲む紙からにじまない紙、生紙から熟紙へ、書の筆法と絵画・新たな水との出会いは、次のステージへ!。
「たらし込み」「琳派」の世界へと進みます。
(本当は、このさわりまで今回準備していたのですが、、、、時間が足りませんでした。皆さんすごく熱心に作業されたもので、、、)

「琳派」とは、この国の「水の価値観」、制作する時に使う水の存在、その存在を使う技術の中で時間表現の変わらぬ基準と捉えた先達、時を超えて行ったグループのように私は感じています。そんなことに出会えるワークショップ!、次回があればまた!!。