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10/9//2013  材料技法

日本画の学び方2

■ 「真似てみる」「真似ようとしてみる」行為が何から始まるのか?やはりそこには何かしらに惹かれている自分自身があるからだと思われます。しかし真似ることは、レベルの低い個性と判断されるのでしょうか? 最初から全てが人と違うこと「個性」がそれのみによって確認されるというなら、それはそれで窮屈なことだと思うのです。真似る行為の中に自分自身を実感する方法もあるように思うのです。
 
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惹かれている部分とは何処、何なのか?もちろん全部!!ということもあるかもわかりません。技術的にすぐには再現できない要素というのももちろんあるでしょう。なんといってもモデル自体が長い年月をかけた結果として生まれた存在でもあるからです。また手に入らない材料が関係している場合もあるでしょう。どうしようもない要素を慎重に除外しながら行う真似るという作業。そんな中にも自分自身を確認する方法はあるように思うのです。
 

 
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違和感、異物 真似る過程で、自分だったら絶対こうは描かないという箇所を発見したり、真似るのが嫌になるような部分との出会いの中に紛れも無く自分自身がいるのです。

特に古典的な技法、表現を試していると自分自身の「身体」ということを意識させられることがあります。あたりまえのことながら、身体自体が違うのです。
 

 
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嫌な事、違和感が教えてくれているのは、紛れも無く自分自身と確認できるような感覚のように思います。

今どきは、個性、個性と言い過ぎるように思います。水の性質という時間が基準となって教えてくれる人との違い。「琳派」にふれてそんなことを考えます。それは時間、時代を超えた共感ともなり、また人とつながる喜びともなるように思うのです。


※紹介している画像は、ある絵の描法を再現する過程をシミュレーションしている様子、参考に作業段階ごとのサンプルを作っているところです。