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11/13//2013  材料技法

美術教育 99%以上の多くの人のために

■ 大学にも関わるようになり、日常的に日本画について話したり、教えることが多くなりました。そうしたおり「個性・才能はすでに皆さんの中にあります、学んだからといって作家になれるかと問われても答えることは出来ません。私が教えられるのは私が実際に試してきた材料や技法について、また「日本画」についての考え方の一部についてです」と断って話を始めます。学ぶことによって日本画についての理解がそれぞれ深まることがあったとしても、だからといって学んだ誰もが必ず作家になれる保証など何処にもないからです。
 
画像は、美学授業での夢二郷土美術館見学の様子
>> 画像は、美学授業での夢二郷土美術館見学の様子 (35.09KB)

 

 小学校、中学校、いわゆる義務教育の過程で「美術」という学科・授業が何故あるのか。ただ自由に何かを描いたり、作ったりするだけの時間では無く、より確かな教育的目的があるはずです。はたしてその授業は、将来作家になる人を生み出すために存在するのでしょうか、現実として、作家となることができるのはこの授業を受けたごくほんの一部、0.1%にもはるかに満たない人数しかなれないのです。

 
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 このことは、美術大学といった専門課程でも同じです。たとえ美術大学で専門的に学んだといえども作家になることが出来るのはごく少数の人々なのです。

 作家になるのに必要だろうと思われる技術や考え方など、確かにある種の部分については、学術的・体系的に学ぶことが出来たとしてもそれだけでは十分ではない何かがあるのだろうと思われます。はたしてこの何かが何なのか、教えられるものなのか教えられないものなのか。

 教育という手助けがいくらかあったとしても・・・・
 作家と呼ばれるような存在は、半ば勝手に生まれるのかも分かりません

だとしたら、教育の現場に存在するその他大勢にこそ有効な教育が求められているような気がします。本当の主役は、作家にならない99%以上の方々なのです。美術教育を通して知る生きることの素晴らしさや、将来の生き方へのヒント、世界の広がりへの出会い。また美術ファン、美術に対する理解者や、市場を作る人、エバンジェリストを作ることも重要な教育の意味になるのでしょう。

 以前、紀田順一郎さんから「新たに街が作られる時、図書館から作られた」という話をお聞きしました。共に暮らすお互いの理解「異なった文化・考え方を知る」知恵の場所としての図書館の成り立ちです。争い、戦いを事前に回避する手立てともなるのです。美術館や、博物館が何故建てられたか、また美術を学ぶ意味を具体的にわかりやすく伝えていく必要を感じます。

 情報伝達テクノロジの進歩によってだけでは補えない何かを伝え、発見したり体験する場として美術館などでの鑑賞教育の重要性はますます増してくると思われます。またワークショップによる具体的な材料や、技術を試す体験は、鑑賞のための具体的な見方・理解を作りだすのです。

 
画像は華鴒大塚美術館での「一鷺栄華」模写制作チャレンジのための見学(社会人)の様子
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先人の描いた絵から読み取れること、実際に描いてみようとすることでよりその理解は深まります。

また、実際に描こうとする具体的な関わりが生まれることによって、その作家を深く記憶にとどめる事にもなるのです。

 
大学生の見学の様子
>> 大学生の見学の様子 (33.2KB)

描こうとすれば見つめる目もかわります。

技術は自分自身にとっての具体的な理解のための言葉にもなるのです。

かつて「画塾」と呼ばれた場が持っていた機能の中には、こうした美術を愛でていく社会としてのインフラづくりといった側面もあったのではないか、そんなことも思うのです。
 
 ITを語る場でキュレーションという言葉がひとつのキーになっています。「いいねボタン」、「シェア」、価値の生み出し方、共有の仕方が今日的なテクノロジの利用でどう変わっていくのか。膨大な情報、その消費の中で、もし自分の中に大切に思うものがあるならば、伝える努力をする必要性をより感じる今日このごろです。