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6/4//2023  材料技法

記録と記憶

■ 5年ぶりの個展が無事終了しました。限られた時間の中での制作、決してそれを言い訳にするわけではありませんが、そうした制作をすることで考えたことがありました。個展会場では、おいでいただいた旧知の方々と私が考える日本的と考えられる表現についての話で花が咲いたのですが、そのおりの話が頭を離れず、また大学で取り組んでいる今日的なART教育開発についての内容が呼応するように感じながらも言語化することができずにいたのですが、今日(6月4日)「写真を生成するカメラ」というテクノロジー記事を読んだことからヒントをいただき「記録と記憶」という切り口で私の今の考えについて備忘録がてらメモすることにしました。
 

記事は、<<GIZMODO AIで写真を“生成”するカメラが登場。果たしてそれは「写真を撮る」といえるのか製作者に聞いてみた 2023.06.04 12:30 山本勇磨くさんの記事>>
AI(画像生成モデル)の面白い実用例として注目を集めているBjørn Karmannさんの制作した「Paragraphica - パラグラフィカ」という作品についてでした。

AIテクノロジーの進化によって明らかにされること。人間にとって今日「写真とはどんな存在なのか」について、制作したParagraphicaによって提示するこころみ、またそれは同時に人間の記憶についても考えさせてくれるART作品となっています。

キーワードとなるのは、「知覚」という言葉。知覚は単なる感覚ではなく、それが自身の知識や記憶と結びついて作られるということ。解釈が加わっての存在だということ。

「対話型鑑賞」を語るときにも出てきます。人間が観るという行為を通して自分自身ならではの感覚、記憶を作り出すのです。今後「情報」テキストベースの共有できる記号としてのそれを用いた画像生成で終わらない何かの発見の中にそれぞれは「オリジナリティー」を確認していけるのかも。そんなことを思うのです。

 

「日本画」を考える中で、
絵を描く作業の中にあるもの。
素材となる和紙や絹を選び、絵の具を溶き、筆を使い、刷毛を使い、使う水との関係を感じコントロールしようとすること。
筆という道具、水を媒介とした素材との時間感覚の共有。
日本の美術、工芸がそういった時間の共有を通して得られる何か、それを「記憶の共有」と呼びたいといった話を個展期間中していたのです。
「日本の色」というタイトルも、限られた色によるそれは、色自体の持つ特別な存在としてのそれに加えて、記憶を呼び起こす鍵としてのそれ、こちらも「記憶の共有」のためではなかったか。
そんな話をしたのでした。
「何を描くか」が、記号としての意味以上ではない世界。むかしからそんな世界があったのではないか・・・・そんなことを思っていたりするのです。
毛筆は、「使用する感覚の記憶・共有」を可能とする道具であること。具体的(水の性質)時間を記録し、それは肉体の運動の記憶でもあり、また見るものにそれを通して体感した記憶を呼び起こし共感を広げる世界。

そのことを知っていたからこそ、昭和の初期までこの国の描き方、描く材料、道具は大きな変化をしなかったのではないか。
そんなことを思うのです。