筆の構造と基底材の関係
歴史を顧みるまでも無く、記録することの意味を疑うことは無いと思います。個人それぞれの脳を拡張し、また時間、空間を超えて集団・社会として知識を共有する方法。使うメディア自体は変わっても、それはコンピューターを使ったそれ、ネットで日々更新される現在の姿を見てもあきらかです。時代を遡って書き記す原初の姿を洞窟の壁画に見るとき、そこに「線」の存在を確認します。はたして「線」を描く道具の進化、使用する「筆」を見直せば、「線に対する価値観の変化」を知ることが出来るように思うのです。洞窟の壁を持ち出すまでも無く、当初書き記す相手、壁であったり、その後の皮革や竹簡、木簡の表面は凸凹だったと思われます。中国古代では、竹簡に墨を使って書いたそうです。割った竹の内側、滑らかな面、火であぶって墨付きをよくしていたとはいえ、小さな面積に多くの情報を書く為にも判別しやすい均一な細い線を確実に書く機能をもった「筆」が求められたと思います。
筆は中国で進化しましたが、それは使用する文字との関係も大きくあったと思われます。古代の文字、甲骨文字、金文など、骨や石、青銅器に刻まれたことで今に残り、知ることが出来ます。筆や墨が発達する前の段階では、木の先を尖らせ、そこに漆をつけて文字を書いたそうです。残された「科斗書※1」から書体と道具の関係を知ることが出来ます。※1科斗(カト)とはオタマジャクシのこと、起筆に丸い固まりが出来、次第に線が細くなる書体(書の歴史:魚住和晃著)何時の世も同じく忙しい。早く書ける文字の形、書体が考案され、また道具の発展により書法も変わってきたと思われます。文房四宝を持ち出すまでもなく、実際にそれらは国力を測ることが出来る重要なものだったのです。現在のような獣毛を使った筆が出来たのは秦の時代(紀元前)、そして筆が日本に伝わったのですが、時代は明らかではないそうです。正倉院に残る天平筆、700年前後には筆を作るようになり、812年には空海が天皇に唐の技術により作られた筆を献納したという記録があるそうです。
現在使っているような筆が一般化したのは、なんと明治時代だそうです。それ以前は、「巻筆」もしくは「有芯筆」とよばれる左画像右側のような構造で、グレーの部分、和紙によって芯毛を巻き、「紙巻き筆」とも呼ばれる構造だったようです。墨をつけて文字を書くのに使う部分は、芯毛先端の一部だけです。筆の腰を調整し、小さな文字、線を安定に書くための構造でした。重要だったのは、毛のまとまり、腰、弾力であり、化粧毛の部分は崩さないのが<基本>だったのです。一方、江戸末期から明治、中国からあらたに左側の現在のような筆の構造が伝えられました。いわゆる「水筆」と呼ばれるのもので、これ以後根元まで崩せるような筆が活発に作られるようになったとのことです。毛のブレンド、混ぜ方の技術開発もあったとのことですが、それ以後「墨含みが良い(墨を一度つけたら長く線が引ける)」このような筆が尊ばれたのです。
基底材の表面はそもそも凸凹であると紹介しました。安定した線を描く為には、筆に求められる機能にこの凸凹を吸収する柔軟性があります。堅い芯毛を使い、筆を早く動かせば、左画像のように墨がつくのは凸凹の凸の部分だけになります。重要な記録がもし上記のようだったら、こすれたりすることで消えてしまうという重大な問題が出ることになります。少なくとも基本的な筆法として「凸凹を吸収し、筆はゆっくりと動かさねばならない」ということがわかります。
芯毛が柔らかく、また柔軟性を持つ腰があった方が基底材表面の凸凹を吸収しやすく、描きやすいことは明らかです。当初文字は直線の組み合わせにより、その後仮名文字のように複雑な曲線を描くことも求められました。滑らかな移動、安定な速度を維持するために、筆の腰は重要なのです。自動車のサスペンションを思い出してください。しなやかで柔軟な足回りがスムーズでなおかつ確実な線を実現するのです。
これに加え、安定な記録ということを考えるとき、墨乗り具合も重要な要素となることがわかると思います。また、表面だけではなく、「しみ込む」ように墨が入りこむ書法も大切になります。「入木道」という言葉があります。※「じゅぼくどう」と読みます。現在の「書道」の古い呼び方だそうですが、昔々書聖と呼ばれた王羲之のエピソードに、木に書いた文字、墨が大変深く内部にまで染み入っていることを紹介する話があります。木材内部まで墨を浸透させる筆力を神話的に紹介するものですが、メディアとしての意味、価値観から考えたとき、大変示唆深いものだと思われます。水分の多い墨、薄墨は長い年月を耐え抜く記録には適さないでしょう。基本は濃い墨、この濃い墨を深く浸透させる、もしくは墨乗り良く書くために必要とされる筆の構造、筆法が重要なのです。 ここに、単に形のみならず、描く、書く、筆を引く、もしくは置く速度という「時間の痕跡」という見るべき価値観が生まれるのです。
絹、紙とも繊維の凸凹が表面にあります。この微妙な凸凹の上に、いかに筆をコントロール出来るか、用いるかが求められているのです。一番左、繊維と繊維に隙間があれば墨は間に入り込み繊維に添って滲むことになります。打紙(打ち紙)と言って、江戸時代頃までドーサによる滲み止めだけでなく、和紙に水分を含ませ、それを皮で挟んで上から木槌などで叩く(打つ)方法により繊維を潰すことによって隙間を閉じ、また表面を平滑にする手法がありました。絹についても同様の加工、処理方法があったそうです。単に滲み止めの機能だけではなく、表面が平滑になるということも、線に対する価値観において大きな意味があったのです。ドーサ引きは、表面に皮膜を作りそれが繋がることによって滲み止めとしています。しかし、この場合は凸凹はそのままです。使う原料繊維(竹、麻、楮、雁皮、三椏など)を変えたり、ブレンドしたり、具引き、また漉く時に土を混ぜるなどして表面を整えますが、「仮名書を基本とした線」の文化を考えるとき、この基底材表面も重要な手がかりにちがいありません。常に基底材表面を筆先に感じて線を引こうとすることは、筆の使いこなしにおいて重要な要素です。また筆とはそうしたことが出来るように作られた道具なのです。
AとB、外見は同じ筆のように見えると思われますが、内部を見ると明らかに使われている毛の長さが違うのです。この使われた毛の長さの違いは、筆の腰の位置が変わることを意味します。先に紹介したサスペンションの出来が違うのです。作りの良い筆とは、隠された部分、使われる毛の長さも重要なのです。小学生の頃、図Cのように筆の根元を糸で巻くことを教えられたことがあります。筆の腰の位置をコントロールすることで書きやすい筆を作ることなど教えていただいていたのだと今になって思うのです。ちなみに、売られている筆には穂先を糊で固められ売られているもの(固め筆)と、固められず売られているもの(さばき筆)があります。糊で固められている固め筆は、穂先を使いたいところまでほぐし糊をとって使います。どちらも使う部分フノリはよく洗い落として使います。このことは筆の後始末にも関係します。使った後,線書き筆をどのように洗うか。使った穂先の部分だけをなんども水につけては拭い取るように墨を落としたり、さばき筆では、墨が残らぬように根元までよく洗うなど違ってくるのです。
左画像は鼬毛(イタチ毛)による面相筆の穂先部分です。面相とは、いわゆる顔。人物表現において、目、鼻、口、輪郭、毛の生え際、鬢、眉など、人格や情緒などを細い線を使って繊細に描いたことから使用用途をもとにした名前だと思われます。先に筆の腰、サスペンションの話を紹介しました。筆の性格付けを考えたとき、使用する獣毛の長さはもちろんのこと、どのような種類の動物の毛を使うかも重要な要素です。羊毛と一般的に呼ばれているのは、いわゆる羊ではなく、山羊(ヤギ)の毛だそうです。一番良いのは喉の部分に生えている毛だとか。柔らかく、墨含みも良いため重要な素材です。柔らかいということは基底材とけんかしないということでもあり、耐久性にも優れているのです。(堅い毛はこすれて早く消耗してしまうのです。)同様な性質でなおかつより弾力のある素材として鹿毛があります。毛の中に空洞が有り(羊毛も)水との親和性が高いことが重要な要素です。ただし短く、折れやすいのが欠点とか。また、季節ごとに採れる毛質は違い、夏毛、冬毛、それぞれ性格が変わります。寒さをしのぐ必要がある冬毛は細くてやわらかく、また夏毛は、風通しがよくなるように堅いのだとか。強い調子が欲しい場合は夏毛を使うようです。また保護色としての働きもあるようで、冬毛は白く、夏毛は色が変わる場合もあります。馬の毛は、全身用途に応じて使われるようです。胴毛、たてがみ、脚毛、尾などそれぞれの性質を使いこなして使われます。より強い調子、堅い毛として「山馬」と呼ばれるものがありますが、これは馬ではなく、大型の鹿の毛だそうです。「水鹿」と呼ばれる動物で、鹿の毛と同様な性質を持ちながらなおかつ長いという貴重品です。このほか兎(ウサギ)毛、リス毛なども使われます。特に兎毛による筆は鹿毛と共に一般的なものだったそうです。面相筆には、白玉(猫の毛)、狸(タヌキ)、鼬(イタチ)、などが使われることが多いのですが、それぞれ毛先の性質に特性があり、含み、粘り、柔らかさ、弾力など用途に応じて使い分けられます。 ちなみに鼬毛によるものは、毛全体がしなるような強い弾力を感じます。(筆を安定に動かすことは柔らかい毛を使うほどコントロールが難しくなります。凸凹を吸収する柔らかいサスペンションが良いとはいえ、それは描く速度とも密接に関係し、時代の要請、求められる速度に応じてよりスピードの出せるもの、弾力のある毛が選ばれていると思われます。)
面相筆は細い穂先に至るまで、軸管(竹で出来た柄の部分)が二段になっていたりします。中には左画像のように容易に抜くことが出来るものがあります。はたして何故抜けるように敢えてなっているのか?
上記で抜いた筆の先端は、おろす(使う)前であれば容易に糸の付いた筆の穂先自体と、細い竹筒にもう一段分解することが出来ます。竹筒に穂先を通し、この穂先を絞った糸を引っ張ることにより、竹筒から出る毛先の長さをあらかじめ調節出来るように作られているのです。筆の大中小といった大きな違いではなく書き手の繊細な要望、腰の違いを調節出来るようになっているのです。
毛先を引き込むように短くすればより強い調子に、また長く出せば腰の柔らかい筆となります。描き残された線だけを見ても、描くのに費やされた時間や緊張感、書き手の求めた価値観を知ることが出来るのです。このことは毛筆を使う着彩にも同様に関係しており、絵の具の発色や乗り具合、出来上がった絵肌に繋がっています。形や線といったある種の伝統を否定し、革新を求めた後にあっても、画材や道具との根本的な関係の作り方に残る価値観として長く維持されていたように思います。しかし、徒弟制度による伝承が立ち行かなくなり、また発表に求められる形態も変わった結果、材料、道具の使い方を伝えることもまれなことになったように思います。もはやそうと気づかない間に残されていたこうした価値観さえもいつのまにか消費してしまったのです。求める物が無くなったり、変わってしまった結果、筆や,和紙、絹といった根本となるものさえ伝承がむずかしくなります。はたして、やはり「無い」のかもわかりません。電子メディアの時代、何事も大規模なプロダクトとして工場で作られるそれに置き換わってしまい、細かなニュアンスや使い勝手は効率の悪い物として切り捨てられてしまいがちです。個人それぞれの身体的特性、性質まで含めた記憶を記録するメディアとして、あらためて今日、このような古い価値観を見直したとき、プリミティブな素材であるが故に個人で自由に出来る範囲が大きく、なおかつ大変高度な可能性のある素材として捉え直し、提案できるもののように思うのです。もちろん、そこでは絵の具を自分で溶くということも大きな要素に違い有りません。もともと中国から伝わった筆と紙、もちろん墨もですが、伝来当時、大変な技術だったようです。持ち帰った実物をモデルに、真似て作ろうとしてもなかなか出来なかったようで、貴重なものでした。その後、仮名文字が生まれ、それに応じてこの国なりの価値観が発展し、独自の筆や和紙、墨などが開発され今に至ります。浮世絵の表現を持ち出すまでもなく、これだけ文明が進んだ国にあって、なおかつこうした生命観あふれるプリミティブな表現手法、価値観を残してきた秘密には、恵まれた「自然」との関係、「水資源」の存在、農業を基本とした価値観の存在があるように思います。 ※◆華鴒美術館で昨年行なわれた「花鳥画を考える」講演会・シンポジウム◆でお話しした「そ」の話は、この「線」についての考察を、描かれた同じ題材、鶴や風神雷神の部分を比較することで行いました。宗達の項では、特別に紙の加工と筆法についての出会いが生んだ価値観として「たらし込み」を捉え、より描く時に用いる「水」という要素に着目しました。http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2008/121301/index.html◆参考資料 基底材との関係について 5月11日追記◆
※参考資料紙と絹の表面は凸凹。どちらも繊維により作られており、表面には凸凹がある。
原料、楮 和紙の表面拡大画像
絹の表面拡大画像
絹や和紙の表面を拡大したとき、それはこの製氷皿のようなものだと考えられる。繊維と繊維の隙間にいかに墨、絵の具を確実に入れることが出来るかが問われている。1、容易に形を変える水の性質を使う。2、道具としての筆、毛の堅さ、腰3、筆の速度、筆法
繊維の凸凹の上に線を引くイメージ画像。
平滑な表面を尊ぶ料紙
雁皮、三椏、繊維のブレンドにより和紙表面の性質が変わる。筆法と、基底材の変化、関係、出会いから、たらし込みが生まれたのではないか??メディアの基本、あり方として、当時(書法、筆法が確立されるた頃)、確実な記録を安定に残すことは、確実にカーボン(墨)の粒子を繊維と繊維の間に止めることであり、それが書法、筆法の一部になったと思われる。時代につれ、材料、記録の姿形が変わっていくなか、その筆法の基本によって得られた価値観は、鑑賞においても「描かれた時間の痕跡を見る、見ようとする」姿として作者と共有され、重要視された。もちろん、そのことは社会としても程度の差こそあれ、日常的に使う「毛筆」「墨」におけるそれであったからこそ広く共有される価値観になっていたのだと思われる。直接見える流麗さによって速度を感じさせ、一見それと見えない平安の仮名書のそれや、また古典絵画の線の中に作家と「時間」の関係を見ることは、一つの伝統的な価値観「時間の捉え方」として受け継がれ非現実を感じさせる表現として成立していたように思われる。それ以後の作家も「毛筆」という道具を使う中で「保存された価値観」として認識していたからこそ、描かれた目に見える「形としての線」としてだけではなく、「力がある」「存在感がある」など言葉の表現こそ違え、「時間の痕跡としての線」という捉え方、価値観の在処となっていたように思う。こうした価値観の学習方法として臨模は、大変重要な役割をはたしていたと思われる。学んだり鑑賞したり、誰もが直接的に見ることが出来る形や構図が作画行程の学習を通じて効率的に行われると同時に、ものの見方、価値観のあり方も伝えたのだ。同時に線における筆の確実なコントロール、また色の再現(墨、絵の具をおく速度、置き方)は、学習する人間だれもが”描ける程度””真似出来る程度”にしかこの「時間に対する感覚」を理解出来ていないと自覚、確認出来る指導方法になっていたと思われる。鑑賞と制作が一つになった効率的な教育方法だったのだ。かって日常的に使われた「毛筆」が多くの生活の場から姿を消し、あたりまえと思われた価値観の伝承が難しくなった現在、伝統教育と言うならば、それと気づくあえて意図的な形の学習方法の考案なども必要ではないか?古いと思われ、個性教育と対峙する存在とされ排除されたかに見える臨模も、より本質に立ち返って見直すことで、今日的な姿、形、意味を与えことが出来るように思う。それは広く学校教育として行われることで社会的な教養として再び機能し、文化伝統のわかりやすい一つの伝達方法、共有の手法になると思う。
Copyright (C) Moriyama Tomoki All Rights Reserved. このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。