日本画塾記録誌
講師の小滝さん、山田さん、間島さん。年初に閑々居で開いていただいた私の個展のおりに来廊いただき、実際にお目にかかってお話しする機会をいただきました。山田さんが書かれている内容は、まさしくあのおり彼が熱く語っていた事でした。きっとあの頃、頭の中でいろいろな事を整理されていたのでしょう。間島さん、小滝さんの話の中にもあらためてこうして記録誌を読ませていただくことでわかる何かしらが数多くあったように思います。また、それぞれが体験された震災についての話も印象深かったです。上野まで同乗した京浜東北線の車中で東京国立博物館で行われている北京故宮博物院200選展の混み具合、スムースな鑑賞のための入館対策?を教えてもらいました。また最近の美術館事情の話も興味深かったことが思い出されます。日本画塾が開設された1995年といえば、私は東京脱出計画を具体化するべく慌ただしくしていた頃でした。あの当時、先の講師の方々と面と向かってお話する事はありませんでしたが、こうした動きが有ったのだという事をあらためて知る事が出来ました。私自身も同じ様な問題意識に突き動かされ、私なりの取り組みを始めた頃だったのです。大人の社会、なかなか生の声というのは、それなりの付き合いがないと聞く事が出来ません。貴重な言葉が詰まった記録誌です。
日本画塾の講師選定に深く関わった北條さんこそ現在のアートギャラリー閑々居のオーナーそのひとです。はじめて北條さんにお目にかかったのは銀座6丁目にかつてあった北辰画廊でした。諸先生方の展覧会場として、そしていつしか先輩方々に加えていただいたグループ展出品者としてご縁をいただきました。記録誌、北條さんの文章に「茶道」という言葉が出て来ます。<講師室奥の茶室>、はたして今は無くなったその茶室にあった炉壇、、、、
講師の先生方手作りの茶室だったとか、縁有って今回はDIYによって私のアトリエに組み付けられました。はたしてこれから、、、。<というわけで?北條さんに感謝を込めて報告がてら>
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はたして「日本画」と冠され語られる世界について、なかなか聞けない話、内容が詰まっています。日本画について学ぶことの広がり、どのように意味を与えるか、そして作家になろうとすることとは、おすすめです。