筆のあたり
富山を数年前に訪れた折は素通り、今回、数十年ぶりで降り立った金沢駅の変貌具合に驚きました。金沢にあるデパート大和さんで、ある程度まとまった数の新作を紹介できる機会を頂いたのです。他の多くの作家の方々の絵とともに、私のコーナーを作っていただき、銀の硫化を使った作品を見ていただくことができました。城下町、装飾工芸の伝統を持つ金沢の方々の目には、はたしてどのように映ったでしょうか。会場では銀箔を制作してくださった中村さんにもお目にかかることができました。
会場に行く事がもちろん一番の目的、それでも、もし時間が作れるようなら、金沢の美術館を訪問することは、必ずと思っていたところでした。 話題の金沢21世紀美術館も魅力的と思っていたところ、展覧会場で出会った方から石川県立美術館で「須田国太郎 没後50年に顧みる」という企画展が開催されているということを教えてもらったのです。好きな作家の絵をたくさん見ることができる!。
迷わず、時間が出来た翌朝、一番に石川県立美術館を訪れました。最初の部屋でまず気になったのは、日本画でいうところの朱土をベースにしたような色合いでした。多くの絵から赤褐色を感じるのです。
、、、そして会場を歩くうち、冒頭に書いたように、確実に基底材を捉えて描く「筆触」の存在、「運筆」を感じることになったのです。模写をしてもその部分は揺るがない、、、。良い意味での「日本人の描く油絵」の実現。たとえ使用するのが毛筆ではなく、ブラシであっても、筆がどのように画面にあたっているのか?を意識した描写、色の発色。「冬」などまさしくの世界でした。良い刺激、またひとつのヒントをいただいた気分です。
以前、華鴒大塚美術館で”花鳥画を考える”という企画展が行われ、2008年12月、同名の講演会・シンポジウムが開催されました。そのおり講演をさせていただいたのですが、そのテーマがなんと琳派に見る線を主題とした話、今の「運筆」を考えるきっかけとなったのです。あの時、お話させていただいた館長の嶋崎さんの講演会「古九谷 再考」が、同日、石川県美で開かれることを知ったり(残念ながら時間の都合がつかず拝聴できませんでした)、蘭島閣美術館、大原美術館、広島県美など縁のある美術館の作品が展示されているのを見たり、また会場で知人に会えるなど、まさに「縁」を感じる展覧会でした。こうして展覧会で実物の絵を沢山見ることができ、昔読んだ須田國太郎さんの著作集「近代絵画とレアリスム」、以前も示唆に富む内容と感じる事しきりでしたが、より一層の手がかりをいただいた気分です。
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