リレーする文化ー高梁川流域の近代美術 を見て考えたこと
企画展開場に入り「川辺の風景」に続く「ゆかりの偉人たち」というコーナーに並んだ一連の肖像画。五姓田、洋風画への流れ、絹という支持体自体が持っているそのものの質感を活かして表現されている衣服の描画は興味深い、なんて思いながら見、「失われた窯」を通り、そしてその次、第二室日本画のコーナー。 岡山出身、紹介されたそれぞれの画家たち、そのコーナーでの紹介に東京で学んだ者、そして京都で学んだ者といった表現が見られました。 東京で学んだ者と京都で学んだ者の違いとはどんなところにあるのでしょう? ここのところ「地域」ということがことさら注目されているようにも思います。 岡山に生まれて、そして京都に出たり、また東京に出たり。もちろん京都生まれ、東京生まれで、それぞれの場所に学んだ人間もいたり、また全く違った地域の出身者もいます。展示されている壁面がたまたまか東京で学んだ人間と、京都で学んだ人間が異なっており、「何か違いを見つけてみたい」気になりました。 そんな中、風景を描いている絵・・・・・・・「地面」の表現が気になったのです。京都で学んだ方々は積極的に「地面」を描こうとしており、東京で学んだ方々はそこに重きを置いていないのではないか・・。京都画壇、国画創作協会の作家たちに見られる土の色をベースにした色合いの存在、陰影。それは絵の具の選択といったことにも関係しているように思います。 伝統そのものといってよいような京都。 革新、前に進むことを宿命付けられたような東京。 出身地として岡山に生まれ、ある段階まで育つということがどんな意味を持つのか? 岡山が京都の影響を色濃く受けた文化風土であることは確かでしょう。 特に現在のようにメディアが発達する前の状況ではなおさらのように思います。 伝統に出会う前に恵まれた自然があった岡山生まれ。 伝統や型を問いなおす、基本(自然)に戻る場所が地域にあったのではないか? 戻る場所を求めないからこその東京の姿 もし求めるとするならばそれは歴史となるのかもわかりません。 そして伝統・型を疑う必要のない京都。岡山生まれの先人たちの表現、自然との関係の作り方に何らかの共通性が見出せるのかも?と思ってみたり。 伝統を本当に評価できるのは、伝統の中に居る人のみ・・・・芸事というのはその芸をやっている人、体得した人、しようとする人によって評価される。むしろそうでなければホントのところはわからない・・・・生活も含めて京都はそんな場所なのではないか・・・ プリミティブ、原初的なものに立ち返って考える基準(幸せな自然)があった岡山・・・・・・・と、そんなことを京都と岡山、東京と岡山なんてことを考えるうちに思ったのでした。 日本画のコーナーに加えて洋画にも展示のあった池田遙邨、光と影、影の中に見つけた色の存在、日本画の代表作(今回、残念ながら展示されていませんでした)に繋がる要素を油画に見つける事が出来ました。
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