限界集落買収
限界集落、まさに私が現在生活しているあたりも、ご多分に漏れず人口減少による生活環境の変化、危機感を実感せざるおえない話を聴くことが多くなりました。はたして今後どのように住まう地域が変化していくのか。楽観視など出来るはずはありません。 出生率の低下、若者人口の目に見えての減少は、大学の定員割れの話につながります。もちろん、生徒が減れば必然的に教員も必要数が減るのは当然のコト。 美術系など、社会が成長し、経済が拡大を続けているころならいざしらず、それが縮小に向かう社会では、その存在、必要なニーズを見つけ、生み出すことも限られたジャンルを除き難しくなります。もちろん大学だってこの状態を手をこまねいて眺めているわけではありません。学部・学科の統廃合を行ったり、新規学部の創設により打開を試みようとしています。しかし、学生数、分母がどんどん少なくなっていることは紛れもない事実です。多くの大学、少なくともある種の学部を待ち受けているのはその消滅・・・・・というのも現実の話なのです。 アート、美術・・・・この傍らで生活させてもらっている我が身も例外ではありません。出来ることなら少なくとも今と変わらぬ未来を望みたいところですが、より厳しい世界と向き合う必要を感じるのです。 しかし、嘆いていてばかりも寂しい限り、何かしら明るい未来を想像したい・・・そのために出来る事から始めねばと、かねがね思っているのです。 ワクワク!するこころを大切に!。
さて、冒頭に紹介した山折氏の文章。 現状認識が仕方のないものならば、それらをひっくり返すアイデアとして、衰退せざるおえないようなグループにある大学の生き残り方について、大胆にも「1:衰滅寸前限界集落を丸ごと買いとる > 教師と生徒をそこに送り込み生活させる > その地域の行政組織、政治、経済、教育にわたる自治と再生に向けて実験的な活動を行う」「2:移住した教師と学生はその地に残る住民と徹底的な話し合いを行い、草の根民主主義の現場に立つ」「3:大学はその地の<基礎自治体再生を目指す>において新規教員、学生の全世界からの公募を行う」「・・・・この構想のモデルは、明治初期、北海道で開口した札幌農学校であり、そのフロンティア精神である。クラーク博士、新渡戸稲造、内村鑑三により切り開かれた「フロンティア」の天地」(新聞記事より)
新設大学の誘致を地域の振興策として積極的に行政が行った時代が有りました(今ももちろんあるでしょう)が、華々しかった時代はとうに過ぎ、若い人(学生)を地域に呼び込みうまく機能していたかに見えた大学が、その地域から出、より便利な場所に移動したり、不採算な部分を精算するべく規模の縮小、場合によっては学部の廃止などを行うといった話を聞くようになりました。 そう、今回の話、似ているようでいて全然似ていない話なのです。大学が「自ら地域の行政に取って代わってしまおう」なんてちょっと痛快です。単純な話、過疎の街より一つの大学の方が人数が多い・・・・・有り得る話です。 若い人、ある程度のまとまった人数がそのまま移動し、そのままその集団が新しい街自体になってしまうイメージなのです。大学経営がそのまま街運営にとなるような仕組みです。(かつてあったようにいわゆる宗教団体、それに類するような集団が行うと怪しいイメージにもなったりしますが・・・)
<ある人数><ある規模>ということをとても重要に思うようになりました。大切に思うもの、残すものを継続可能な状態にするためには、生態系のようにそれぞれの層にその必要な量の確保ということが求められるのです。 話は変わりますが、偶然見た今日のテレビ番組で、真庭地域のバイオマスに関する取り組み、企業の動きが同じように気になりました。<たとえそれがゴミだったとしても、安定的な素材・材料の供給が必要量常時確保出来るかどうかが事業化にあたって大切だ>という話も「量」を巡る話として引っかかったのです。 東京的な価値観の単一化はある意味で見やすいけれど、広い国土、地域文化の違いが生み出していた多様性、ある種の生存に向けた保険のあり方は、それぞれの地域の存続がなければ継続できないのは明らかです。 特に「日本画・この国の絵画とは?」といったことを考えてしまった私にとって、地域文化、地方が持っている自然環境と、季節、時間の関係など、その多様性が生み出す人の異なり、文化の厚さについて思うのです。特産の和紙それぞれがその地域文化の反映であるように。また膠に求められた価値観を思うのです。 当然、世界から見たおりの<日本的な何か>が持つ競争力についても。 「ある量」が果たす役割の大きさを思うからこそ、大学の地域買収という発想の興味深さをより思うのです。無理矢理にでも「フロンティア」を出現させてしまう「量」ということをふと思ったりするのです。大学を<島、海岸、中山間地、山、それぞれの場を「フロンティア」にしてしまう>という仕組みとして機能させるアイデア、かつて北海道で行われたというそれは、最近ことさら言われる地域再生に有効な手段にならないでしょうか?同時にそこでの暮らし方、町・地域資源の再生に向けた取り組み、ある意味でのサバイバル体験は今後の企業生き残りに向けた人材確保にも繋がるように思います。生活価値の東京化、一極集中は、ある種の脆さをを感じるのです。「たくましさ」「自然との共生」違った視点で見出すからこそ見えてくる農業体験の意味、生み出すアイデアといったものを思うのです。それは私が関わる日本画、和紙や、筆、墨、膠、硯といったそれぞれを実感を持って見直し、継続する試みにも繋がるように思うのです。 さて、話はまたまた変わって「リ・クリエイト」について。 京都の寺社などで有名な障壁画などがデジタル・テクノロジの進歩によってインクジェットプリンターなどで出力されたものに置き換えられ、常時展示されるようになったと聞きます。貴重なものを大切にすることはもちろん大切ですが、何故貴重なのかの中には、何百年にもわたって大切にされてきた痕跡を、生な姿として間近に感じる体験の素晴らしがあるように思うのです。 ある種の体験・オリジナルが持つ色と構図の世界を越えて訴えかけてくる何かの存在こそ全て。はたしてそれがなんなのかを明らかにすることは難しいかもわかりませんが、模写をする過程などで絵描きはその何かを受け継いだりするように思うのです。人による模写作業によって作り出された代替え品、かつてはこうしたものが主流でした・・・・・新たに描き生み出された作品を積極的に使う試みを行っているとも聞きます。(昔と同じ材料や技法を使って描く)模写や新たな絵を描くことは、その素材維持、ある種の道具や技術の社会的な伝承・継続のためにも重要な意味があるということを最近はことさら思うのです。 というわけで?ある種の生態系維持のために大学というある種の「量」をもった集団だからこそ出来る試み、そんなことを夢想したりするのです。
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