森山知己ロゴ
11/2//2015  材料技法

文化財の教育利用

■ 博物館、美術館に収蔵されている作品や文物、何故こうした施設があり、またそうしたものを保存、紹介する意味があるのか。アカデミックな解説については、学芸員資格を取得するときに学んだような・・・私の古の記憶です。一方、実際に作品を作る製作者の立場とは言え、この世界に関わってずいぶんな時が過ぎました。古いものから教えてもらうことの多さ、また取り巻く社会との関係についてなど、ここのところより実地で何かしら感じることが多くなったように思います。岡山県立美術館の教育普及担当学芸員、岡本さんのお誘いで京都に出かけてきました。
 
bin110201.jpg

目指すは京都国立博物館。

さすが国立の立派な施設です。おりしも秋の京都、琳派400年、「琳派 京を彩る」が行われている真っ最中、それも風神雷神図三作が揃い踏み展示の期間、凄い人でした。

 
bin110202.jpg

対応くださったのは、京都国立博物館学芸部教育室研究員(教育普及)の水谷さんです。

岡山からは、岡山県立美術館学芸員、岡山大学の教育関係の先生、学生さん、盲学校の先生、県立大学の南川さんに、日本画の私というメンバーでした。

 
bin110203.jpg

多くの方々に貴重な文化財についての興味、理解を深めてもらいたいのは山々ですが、実際に手に取りそのもの自体に触ってもらうということは出来ません。いかにして実感を持った出会いにすることが出来るか、工夫のしどころです。
 
そのもの自体がダメなのは当然とすれば、それ以外の方法、ひとつは巧妙なレプリカ(これも調査・あとで紹介します)の使用とその運用方法。

 
bin110204.jpg

そしてもう一つは、そのモノができている素材、制作の過程といった要素を紹介、実際に触れてもらう試みです。

私自身も「日本画紹介キット」というパッケージを作り、いろいろな所、ワークショップ等に持ち歩いていますが、さすが!国立の施設、触れてもらうことでの資料の消耗なんてこともちゃんと考慮して準備・整備しており、至れりつくせりの対応です!!

 
bin110205.jpg

今回大変興味深かったのは、墨の香料が用意されていたこと、「ニオイ」を実際に嗅ぐ体験、記憶に残るに違いありません。そして日本画関連でもう一つ、江戸時代の筆のレプリカがあり、実際に使えるように用意されていたことです。

水を着け、書く。その痕跡がわかりすぐに乾くようなシートも準備しており、実際に行った経験は、貴重な記憶に結びつくように思いました。

 
bin110206.jpg

上記の筆を作るのに参考にしたもの。

徳川家基の遺愛品。筆や刷毛には用途や寸法を蒔絵で明記したものがあったのです。入れ物ももちろん、絵具皿も凄い!!。

彩色とか、隈とか、衣紋とか・・・・もちろん面形(面相?)もありです。

 
bin110207.jpg

絵画の他には、古墳時代の銅鐸(古典的な型取り、樹脂使用)、銅剣(3Dプリンター使用)があったり、木彫関係では、実際に触れる木材見本、ちょうど整備中で無かったのですが、仏像に目を入れる工程を体験できるキットなどもあるそうでした。

画像は、衣襞の大小を実際に触る事ができるサンプルなど(触る前に、事前に手の油を拭いて汚れなどを落としてもらう対応もセットで用意している話も興味深かったです。同時に摩耗、欠損なども考慮した運用体制があるというのにも関心しました)

 
bin110208.jpg

折しも秋、観光シーズンの京都です。「琳派 京を彩る」展、風神雷神三作が同時に並ぶ展示が行われる真っ最中の日曜日!とあって、並ぶ列は途切れること無く続き、我々が京都国立博物館を失礼した昼ごろも変わらぬ姿がありました。

 
bin110209.jpg

街にあふれる観光客・人混みの中、どうにか食事をすませた我々は、次の目的地「特定非営利活動法人 京都文化協会」へ向かいました。そこは趣きのあるかつて京都市立成徳中学校だった所にありました。

素晴らしい蔦の名残。水を上げ、彩りを深めた頃を思います。

こちらで対応くださったのは同協会の大久保さんと藤野さん。

確かに聞いたこと、見たことが有りました。
「綴TSUZURI 文化財未来継承プロジェクト」

こちらが実際に活動を行なっている方々でした。

 
bin110210.jpg

この場でもお話したのですが、活動趣旨はもちろんのこと、それに今日的な最先端テクノロジを利用することも含めて、それは大変素晴らしことと思っています。なにもいうことはありません。しかし、私はかねてこのプロジェクトによって生み出される派生的なこと、ある部分に対してちょっとだけネガティブな感想を持っていたのです。

お寺などにこれらが実際に設置され、次第に置き換えられることによって、その折々、訪れた方々がその場所でのみ、また本物のみが持つ特別な何かに触れるチャンス、出会いを失うことにも繋がるのではないか。それは人の手によって作られた存在の持つある種のエネルギーを直に感じることであり、また設置場所の時の経過・風雪を越えてきた生々しさといったものと一緒にあるからこそのより増しての体験だったように思うのです。大切にされ、愛おしく尊ばれたからこそ長い年月を耐え、これまで残されてきたように思うのです。

こうしたやり方・出来上がりである程度満足できる人が増えることによって、絵を描く者、手作業で模写をしたり、昔と変わらぬ作業、材料を使って行うことで初めて知ることが出来る何かといったものを体験する機会、出会いを減少させる方向へと続く社会的な動きに繋がるのではないか・・・・・そんなことを思っていたのです。

それは、結果的に古い時代と同じような紙や絹、絵の具、墨・筆といった素材を作り続ける産業の存続にも関わるように思うのです。もちろんこの活動自体が悪いと言っているわけでは毛頭なく・・・私自身も含め・この時代に絵(日本画・この国の絵画)を描く者、また関わる者に跳ね返ってくる思いではあるのですが・・・・。


何故こんな事を書いたかといえば、伝統の継承と一口にいってもそれは個人単位でどうにか出来るものではなく、広く社会が関わる、大勢が関わっていることをより実感することが多くなったからなのです。和紙を作るにも植物の原料栽培現場が関係するとか、墨作りに膠が関係し、それらそれぞれの製造現場の存続が困難となってきたり、実際に昔ながらの形では存続ができなくなったりするのを見てきたからです。絵描きだけではどうしようもないこと、薄い金箔を作るのに必要な和紙素材だって同様です。それは使用する絵の具・道具についても同じことが言え、長い年月、それもこの国では古い、原始的な姿に近いまま、作り、あえて使われ続けてきた事を改めて思うのです。

広く社会が関係する。まさしく教育との関係を問われていると言ってもよいでしょう。<文化財を教育に利用する活動>、すばらしいと思います。しかし、もともと文化とは、教育とともにある存在ではなかったでしょうか。素晴らしい文化・価値観を継承・共有することは、教育そのものの姿だったように思います。それを抽象的な文言だけではなく、現物である「文化財」を通じて行える、ある意味で凄く具体的な教育の形のようにも思います。求めれらているのは、今日的な運用、使い方・伝え方の工夫でしょうか。

・・・と、ここまで考えたのも、所詮印刷物とたかをくくって見ていた存在が、本物の金箔を巧妙に張り込み、加えることで印象をがらっと変えることに改めて驚くことが出来たからです。綴TSUZURI 文化財未来継承プロジェクト、金箔!の使用がもたらす効果、使用技術は純粋に素晴らしく、今後の可能性を思いました。
 

わたしがよいな〜と思う、繋いでいきたいな〜と思う存在の存続に向けて、今後とも幾らかでもお手伝い、私なりに関わって行けたらと思っています。