「日本画」という言葉に思う
先日、ガラス作家の松島巌さんとの会話の中で「誰が作ったか知らないけれど、「日本画」って言葉があってよかったね。感謝だね」という言葉をもらいました。 この記事の文頭を読んでしまうと、上記は、私だけに向けられた言葉のように思われるかもわかりませんが、「美術」・「工芸」も含めて明治期に作られたこれらの言葉が、国内で制作を行う者にとって今日この国を問い直す外からの視線を明確に意識させる装置として内部的に機能しているのではないかという話なのです。 もちろん、松島さんにとっての「工芸」という言葉も、ガラス制作に関わる思考のなかで自分自身が生まれたこの国を捉えるおり重要な働きをしているのではないかという話です。
東京で<「日本画」なんて無い>という言葉が次第に大きくなり、問題意識を持って語られるようになった頃、すでに私は東京を離れており、その後、彼の地で<「日本画」内と外のあいだで>という「日本画」をめぐる大きなシンポジウムが開かれたのも10年以上前の話になりました。 当時、上京したおり、このシンポジウムに参加された私の見知った方々が、様々な感想を話してくれたことを思い出します。(私はシンポジウムに参加していませんでした)私の廻りでは、「シンポジウム自体が<「日本画」なんて無い>という結論有りきに感じられて、(言わんとする事自体は理解できるが、なにかもっとあるだろうと)もどかしかった」という話を多く聞いたように思います。
今、「日本」という国名が付けられた絵画をどのように捉えることが出来るのか? この言葉の意味するところ、様式として定義できないからと否定する方もいらして当然でしょう。 また、答えを必要とするなら、それぞれがそれぞれで求めれば良いと思います。
私にとってこの言葉について考えることは、「自分自身だけではないこと」「繋がり」「社会との関係・伝えること」などに思いを馳せることになりました。おそらく「定常型社会」「定常型経済」なんて言葉に興味を持ったりもしなかったでしょう。「定義できないから無い」と捨て去るのではなく、先人が何世代にも渡って繋ぎ、伝えようとしてきたこと、この国独自の魅力、伝えたい良い所をそれぞれが客観的な外からの視線を意識しつつ考える装置として「日本画」という言葉を残してくれたと捉えようとすること・・・魅力的だと思いませんか?
Copyright (C) Moriyama Tomoki All Rights Reserved. このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。