川端龍子の技術について
このサイトの展覧会案内にも書きましたが、<<日本画の画材、また古典的な描法、材料の使い方は、それぞれが原始的であるからこそ、残された絵画作品から、描いたおりのその人の身体、また運動を、時を超えて具体的に読み取ることが出来ます。 なぜなら、絵の具の溶き方であり、また塗る折、使う折の水の性質がそれぞれの作業に必要な時間を明確に規定してしまうからです。 同一の材料、単純な作業であるからこそ、比較ができるのです。加えて「水の物性」という普遍の時間尺度があります。この「読み取れる時間」に、評価の重きをおいてきた日本文化ということを思っているのです。>> ある時期、絵の具の厚塗りが重要視されたこともあった様に思いますが、この国の絵画において基本とされてきた絵の具の扱い(狩野派等)に照らし合わせれて見れば、3層から4層、プロセスを守った使い方の中に変わらぬ時間を見つけられるのです。
作品は、屏風仕立てです。この絹素材の紺地はどの様にして作ったのか?ドーサを引いた絹を貼った屏風を準備し、それに藍を塗ったのか?それともドーサを引いた絹に藍を塗りその後裏打ち、屏風に仕立てたのか?こんなことは、画家の制作記録、もしくは制作の手伝いをした人から聞き取りをすればすぐにわかることかもしれませんが、一般の人間にはそんな情報はなかなか得ることは出来ません。手がかりにするのは図録などの画像情報、またかつて見た記憶です。ワークショップを引き受けるにあたってこのあたりの情報が欲しいと学芸員の方に伝えました。「紺地、塗っているのは藍棒。家族総出で藍棒を摩って塗った。」美術館で昔見た記憶、背景の紺地には重厚な質感があったように思っていました。絵の具を塗っているではないか?と思っていたのですが、今回現地で自分が描くつもりで注意して見ると、たしかに染料系の絵の具で出来ているらしいことを見て取ることが出来ました。絹の織り目が絵の具で埋まらずちゃんと見えたのです。一部には繊維の輝きも感じました。またドーサ(ミョウバン)の結晶らしきものも。 まずは、絹に藍棒を溶いて塗る実験から。藍棒を溶くのに現実的な選択(普段は皿で溶きます)として硯で摩ることを試みました。案の定、現実的な速度で藍の絵の具を作ることが出来ました。絹枠に張った絹にドーサを引いて、左は4回塗り(乾かしては塗りを重ねました)、右は一回塗りの状態です。
左側、6回塗りで見たような色の深さを作る事ができました。この経験から、塗る折の濃度を調整して4回塗り程度で、思うような色合いに出来ました(右・画面奥)
裏打ちの紙にも一工夫、墨を塗ったものと藍を塗ったものを作りました。(紙は生紙のままです)
向かって右側は、墨、藍で染めた裏打ち紙を貼ったものをもう一度裏打ちし、貼っているところです。左側は、染紙による裏打ち無しで白い紙で裏打ちを行っています。画面の色の深さという点では、やはり右側のように思います。乾燥後、ドーサを表より一度引きました。染紙を使った方はそれなりに表面の雰囲気が出たように思います。もう一方の試みとして、先にドーサを引いた絹を裏打ちし、屏風にしてから藍を塗ったのか?を検証。
ドーサ引き裏打ち絹も準備して実験です。画像奥の二枚はドーサ引きした絹を裏打ちし、板に貼ったものです。下は藍の塗り重ねた回数です。この画像では色が深く良い感じに見えますが、近づいて見ると、絹目の間から裏打ち紙の白さが見えて深い紺色とは言えない様子です。手前は先に紹介したものです。手前右、奥半分は墨を塗った裏打ち紙を用いています。手前半分は藍です。色の深さで言えば、墨を塗った裏打ちを行ったものがイメージに近く感じました。今回の展覧会で、川端龍子の絵の具の扱い、水の使い方をじっくり見ることが出来ました。いろいろ試してみたいと思います。もちろん、金泥、青金泥などを使って植物を実際に描いてみることも。
Copyright (C) Moriyama Tomoki All Rights Reserved. このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。