線の秘密・水の時間
<かつて「日本画」について考えるおり、重要な要素の一つとして注目されることの多かった「線」>、「日本画」という呼称についてと同様に、要素とされたこの「線」についても語られることがこの頃は少なくなったように思います。一口に「線」といっても様々です。現在ではコンピューター、プログラムによって描かれる「線」もあります。複雑な現状そのままではとらえどころがないのも事実、まずは、記録することのそもそもの姿に立ち返って考えて見たいと思います。はたして「そもそもの姿」とはどんなものだったのか? 「そ」の話、その一つ目です。
当初、地面や木、骨、甲羅、それらを固いもので傷つけたり、また刻み込んだりして痕跡を残したと思われます。その後、山火事や焚き木、偶然の発見だったとは思われますが、黒い「炭」との出会いも会ったでしょう。また細かい土、粘土など、雨、池の底、川辺り、沼地などでの描画・記録材料の発見もあったに違いありません。加えて獲物の血!の使用も想像できそうです。
そして、ある時、発見が行われるのです。料理をしたおりの吹きこぼれ、煮こぼれが灰や煤と一緒に混ざり合うことで消えにくい描画材料となることの発見です。まさしく血で描いたのと同じように。
顔料を安定に接着する「バインダ」、現在「膠(ニカワ)」と呼ばれているようなタンパク質の持つ特性の発見です。はたして現在の「墨」のような姿、使用が生まれるのが何時頃なのか?については、その筋の専門書を参照いただくとして、このようにしてプリミティブな筆記材料が生まれたのではないかと思います。
何に描くのか?。地面、洞窟の壁、構造物における壁、石、そして可搬性のある存在として、支持体、基底材として選ばれたのは木材、葉、皮などでしょう。もちろん刺青として人の体というのもあったかも分かりません。次に現れる木簡や竹簡、パーチメント、そして紙。可搬性、膨大な量を扱うところから収納といったことも考慮されるようになります。
原初的なそれらの表面は、当初凹凸の多い表面をしていたであろうことは容易に想像できるように思います。
この表面に凸凹の多い支持体の上にいかに安定な記録をすることが出来るか?その工夫。自然と共に暮らすこと、そして戦うこと。収穫についてや普遍的な知の共有、文明の享受。記録することの意味は、今更言うまでもないでしょう。現在のコンピューター、電子媒体による記憶や、通信を使った共有の意味。シルクロードを越えて伝えるためには軽くコンパクトな記録手法が求められたりしたのです。それらは全て「記録する技術」「伝えるための技術」だったのです。
今どきなら「ICT」なんて呼ばれたりするそれの原初の姿かもわかりません。
凸凹な表面に安定な記録を行う道具。もちろん支持体自体の工夫も出てきます。当初、粘土板に硬い棒のようなもので刻みこむ事もあったと思います。ついで木材や竹、皮などに記録するようになった(軽く可搬性のある支持体)おり、血液などを使うこともあったでしょうが、何時でも使える存在として燃え残りの炭とか固いものをこすりつけたりしたのではないでしょうか。しかし、コレでは凸凹の出っ張った部分にしかカーボンをつけることは出来なかったに違いありません。
柔らかな存在、やわらかく凸凹を吸収していく存在「筆」のようなもの(尻尾や毛、植物の繊維の先)の有用性の発見です。
鉛筆やペン、堅い筆記具を生み出した文化背景、伝達に対する考え方。そこには出版や現在のインターネットに繋がる何かが認められるでしょう。一方で「やわらかな」・「筆」を使ったコミュニケーションには、それだけではない存在があるように思うのです。
柔らかな毛先は凸凹のくぼみを捉えます。そして「水」を使うこと。本来、煤と水は親和性がないそうです。なのに何故、煤、カーボンが沈まない墨汁とすることが出来るのか?ここにはバインダとして用いられる「膠」のもう一つの大きな働きが隠されているのです。煤、カーボンの表面をコーティングするように膠を練られ着けられるた墨は、その膠の働きによって水溶液中において膠は界面活性剤として働き、カーボンを水中に浮かせ、また他のカーボンとくっつかず沈まない状態を作り出すのだそうです。墨汁、カーボンをこの凸凹に効果的に定着するように用いることがいかに出来るか?ここに筆の使い方「運筆の基本」を見つけることが出来るように思います。水の中で大きすぎるカーボンは重く沈んでしまうでしょう。用いられたカーボンの大きさが均一では、この穴を埋めていくおり、効率が悪いかも分かりません。また多様な表現を考えるおりには、このカーボンの大きさの多様性が意味を持つことになります。墨の良し悪しについての話となるのです。
岡山県立美術館で行っているこの国の価値観再発見のためのプログラム。竹の裏、原初的な姿の再現実験を行いました。プリミティブな支持体、凸凹な表面の上にいかにしたら墨を安定につけることが出来るのか?このおりは「筆」という道具、そして「墨」について、「筆法の確認」といったテーマでお話、そして実際に参加者でそれを確認したのです。※毛筆という道具岡山県立美術館「この国の価値観の発見ワークショップ 〜毛筆という道具〜」http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2012/070301/index.html
プリミティブな紙、凸凹の表面になめらかな線を描くのにはどうしたら良いのか?実際に描いて試してみました。
和紙表面を拡大撮影しました。思う以上に表面は凸凹しているのです
絵絹の表面を拡大して撮影しました。
上記で上げた和紙表面や絹の表面。特に織物の絹は糸の交差によって出来るスペースが、左の製氷皿に似て見えてきませんか?この窪んだ部分をいかに筆先で感じ、着実に埋めながら線を引くことと、当初の筆法にはシンプルな姿であったように思うのです。(「筆先を感じ」という部分がそののちのポイントと成るような気がしますが・・・・)
ワークショップで行う、片段ボール紙を使った体験。この凸凹を筆によっていかに吸収できるか?とぎれとぎれにならないようにするためには?筆の機能、求められる性質は?。同時に、使う人間の腕、手に求められるコントロールとは?。
筆を早く動かすと、どうしても凸凹の凸部分にしか墨をつけることが出来ません。硬いペンなどでも同様ですね。
柔らかい筆、その毛の性質を十分に使うこと、またゆっくりと凸凹に沿うように筆先(毛先)を動かすことが連続した線を描くことにつながります。
長い年月の使用(摩耗)、また支持体を撒く巻物を想定(柔軟性)ことなどを考えると、いかに墨(カーボン)を深く留めることが出来るかということも重要になります。ゆっくりと凸凹に沿うように筆を動かす。同時に細かく上下動を加えて毛先の密着を良くし、多くのカーボン、墨を<置くように>して描くことが大切と求められたのです。凸凹に追従させるためには毛はやわらかいほうが良いことがわかります。また動きを効率よくコントロールするためには毛の腰といったものが重要になるのです。一方、不定形の凸凹に対して効率よく埋めるためには、カーボンの大きさや、水の持つ滑らかにどんな形にもなりうる要素も重要と成ります。バインダーである膠の性質に求められる要素がこれらを加味したものとなるのです。
どのように筆を動かせば目的(安定な記録を実現する)に対して効果的か?原初的な筆法、運筆の秘密はこんな内容ではなかったかと思うのです。「運筆の秘密」
重要な道具としての「筆」については、以下記事を参照してください。※筆の構造と基底材の関係 5/8//2009 材料技法http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2009/050801/index.html
記録する材料としての「墨」に注目することでまた見えてくることがあります。 墨汁の中にあるカーボン、煤は何故沈まないのでしょうか?もともと煤は水と相性が悪く水に混ざりにくいもののはずです。(水に煤を投げ入れたおり、沈まず浮いてしまった体験は無いでしょうか?)
墨の製法で煤と膠を混ぜ合わせ、団子状にして何回も叩きつける映像を見たことがあります。煤、カーボンの一つ一つ(画像グリーン)に膠のコーティング(画像オレンジ)をするような状況を作ることで、膠は界面活性剤として働き、水(ブルー)の中でお互いがくっつき重くなって沈まず、コロイド状を保つ働きを助けるのだそうです。1.容易にふやけて水に溶け出さないこと、2.長期にわたって腐らないこと、3.柔軟性を何時も保持していること・・・なおかつ固着力失わない が墨用として求められる膠に必要な性質かと思われます。
繊維の隙間、織物の糸と糸の間。それらを効率よく埋めるためには煤のつぶに多様性があったほうがより効率的に作業を進められるでしょう。大きい物、重い物から先に沈みます。多様な煤、カーボンの大きさをもったコロイド溶液としての墨の姿です。ただし、平滑な支持体(加工紙・熟紙)が生まれたことにより、墨もまた変化しました。
単位面積当たりの情報量をいかにして増やすか?情報をコンパクトに軽く出来る事は、通信の技術が未発達だった時代に大きな意味を持ったことは明らかです。凸凹な表面をいかに平滑にするか、滑らかになれば小さな字が書けますし、書くスピードも早く出来るのです。絹や紙を湿らせ、硬いものの上で叩き締め、平滑にする砧打ちです。
平安時代頃にはこうしたことが行われたのでしょう。料紙の使用にその結果を見ることが出来ます。
凸凹を埋められたことによって、結果的に安定な記録をするためにタップリと使用した「水」が支持体表面に現れることになりました。筆で「水を貯めること」は、時間をたっぷりと費やす作業です。時間というものが人間にとって貴重であると考える程、時間を使うことは、ある意味で贅沢なこととして捉えることが出来ると思います。江戸時代、光悦の行った「王朝美の復活」、宗達が行った「たらし込み」の美としての発見は、料紙の上に水が貯まるように描いた結果から生まれた、豊かな時間を再現する過程から生まれたのではないか?そんなことを思うのです。
「たらし込み」は、基本となる「時間を貯める筆法」から生まれた。しかし時間をかけたからといって、結果の線、形が重く鈍重に見えることは、現実の反映以外の何物でもなく、そこに軽やかさや、非現実を見せられる筆法こそ運筆の秘密のように思います。一見、時間をかけたように見えない技の存在です。
日本画に見られる「線の秘密」「線」に求められた価値観の一つにこの「時を貯める」という要素を見つけることが出来ると思うのです。私が学生の頃、先生方から教えていただいた、「筆は(絵の具を)置くように使う。」という話とも符合するのです。実際、このようにして置かれた絵の具、墨は、その水の乾燥にそうように静かにし沈み、滑らかで静かな表面を作ります。発色も自然の摂理が生み出したそれであり、人間の手わざを超えた何かを感じさせてくれるように思うのです。 また、輪郭と成るエッジのコントロールは、水の表面張力を操る事(単位面積当たりのぎりぎりの水を貯める作業)にもなり、微細な筆先のコントロールが求められます。筆先と支持体が触れ合い、水が動き出すギリギリの状態を感知する能力・・・・・筆を使う作業が肉体を変えるのです。自然の摂理、理を知るセンサーとしての体を創り出す訓練機としての「筆」ということを思うのです。
「琳派」とは、上記のようなことに「たらし込み」を使うことによって気づいた人たちではなかったか?100m走のように、「水の性質」というルールの中で時代を越えて戦う、楽しみを共有する。自然の摂理、理に基づき、同じ材料、同じこと(たらし込み・同じモチーフを描く)をすれば、見えてくるのはその「人間」の違いのみ。それは違いを意識することによって、また行うのが同じ人間であるという共感へもつながるのです。その面白さを感じられる。私淑によって継承される何かというのはもしかしたらこんな所にその秘密があるのかもわかりません。そう、「水の時間」とは、普遍の時間。ルールの共有。時を超えて会話する何かの存在。
さて、ここまで来ると狩野派にも触れないわけにはいけませんね。「倣う」という勉強方法、伝達方法があります。あえて積極的に同じことを行う勉強法。自由がことさら強調され、何事にもとらわれないことが最重要と言われたりしますが、普通の人は、囚われていることにさえ気づくことが難しいのも事実のように思います。99%の人の学びを考える時、明確なゴールの提示、評価を明らかにすることは、その習熟において重要なことなのです。狩野派を語るときに出てくる「粉本悪者説」はたして一面だけでは計ることが出来ないのではないでしょうか?鑑賞者、支援者、社会として価値観を共有するインフラ構築、教養教育としての意味、存在を改めて思うのです。
大学で教わった数少ない技法の一つ、「胡粉の百叩き」狩野派の技法の一つだったとのことですが、この胡粉を絵具として使える状態にする作業、墨を作る作業との類似性を感じます。同時に用法についても。カーボン、煤の大きさの重要性は、水の中で沈みにくい、コロイド状態を実現できるようなサイズとすること、乳鉢での空摺りが大切と聞いたことと合致します。また団子状にし、叩きつける作業も墨の製作工程と似ているのは、同じくコロイド状、膠の界面活性剤としての働きを有効にするもの。結晶学会のシンポジウムのおり、タンパク質の専門家の先生からお聞きした結晶中の脂肪の結合の強さについて、墨運堂の会長からお聞きした「分散性の悪さ」と脂肪との関係。叩きつけることにより、エネルギーを加え、膠内部にある脂肪の結合を分離することにより、より有効なコロイド状態を作ることが出来る(分散性が悪いと、煤、カーボンが凝集し、大きな塊となって重くなり沈んでしまう)。よくとくことが出来た胡粉は沈殿しにくくコロイド状態を維持し、薄く均一な表現に向いたもの、暈しにももちろん有効なものになるのです。というわけで、安定によく着く膠のためには、ある意味この脂肪、不純物があることが大切(不純物があることで強固に固着するという経験を昔したことがあります)ということもわかったり、薄塗り、暈し、ある種の発色のためにはこの結合を切り離したもののほうが効果的に使えるなんてこともわかってきたように思います。(科学的な実証についてはその筋の方々にお願いするとして、絵描きとしてはなんとなく納得できる理屈が出来たように思う今日このごろです。)
尾形光琳の国宝 紅白梅図屏風、再現制作で行った硫黄を用いた銀箔硫化の技法。銀を硫黄と反応させ、部分的に硫化銀の黒とする技法は、基本的に化学の反応であり、誰がやっても同じ結果に成るのは当然のことです。
もし、私が行った再現結果が少しでも面白いものになっていたとしたら、それは、いかにマスキングを行ったか?ドーサ液によってなめらかな輪郭、動きを伴った線を安定な皮膜として実現できたかというところが勘所でしょう。それこそが、日本画の線の秘密、筆法の秘密と呼ばれる何かの一部ではないかと思うのです。
光琳と同じこと、同じ作業をするということ。同じ材料、同じ技法を使えば、使う水の性質によって、行う「実時間」が明らかになります。その時間内に出来る事は何か、たらし込みでの、水を貯める量、絵の具のコントロール、ブレない線。光琳の肉体を感じる体験になったようにも思うのです。実際に同じこと、同じ描く作業によって得られる対話。DIALOGUEhttp://kibikougen.blogspot.jp/2015/01/dialogue.html
※参考 まとめ(3月1日追記)2008年12月 華鴒大塚美術館 ”花鳥画を考える” 講演会・シンポジウム「現代日本画家が挑む花鳥画」 花鳥画を考える・講演会・シンポジウム 他http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2008/121301/index.html「運筆」「琳派」「私淑」 「そ」の話・その1「琳派」と呼ばれる画家たちの描いた代表的な題材である「風神・雷神」。それぞれの画家によって描かれた風神の髪の毛の描写、筆運びに注目し、比較。宗達の線に私自身が感じる優位性、豊かさの秘密を考察する過程で、この筆の動きを説明しようと試みたのが「運筆」を「記録する道具」といった視点で説明する最初だったように思います。(この年、東京国立博物館で行われた「大琳派展」では、幾つもの風神雷神が一同に並びました 俵屋宗達 尾形光琳 酒井抱一 鈴木其一 )「倣う」 「そ」の話・その22006年に鳥取県立博物館で行われた「鳥取藩御用絵師 沖 一峨 江戸の小粋」で、見ることが出来た同じ「鶴」の絵柄、宗達の風神雷神と同じく、この文正の鶴をお手本としたそれぞれの比較を行い、「倣う」ことの意味について考察しました。自然豊かなこの国の姿、四季があることなど、花鳥画というテーマが存在することなど、作家と地域の関係性・表現を考えるきっかけにもなっています。 相国寺の文正 鳴鶴図・伊藤 若沖の白鶴図・狩野 探幽の飛鶴図http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/image/newi/2006/110201/index.htmlこの後、同じ題材、図柄を描くことの意味を考える過程で、「粉本」の存在についての理解として、伝統に具体的な形を与える作業だけではなく、文化伝統を継承していくインフラ作りについて、画塾が果たした役割、教育のあり方などについても興味は広がっています。日本の肖像画 7/26//2010 材料技法http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2010/072601/index.htmlやわらかい2011年に笠岡市立竹喬美術館友の会発行の「小野竹喬 日本画の技法と素材」(平成23年2月出版)という冊子制作のお手伝いをさせていただきました。このおり、竹喬が日本画教育について当時すでに私と同じような問題意識を持たれていたことを知ることが出来ました。また筆の「柔らかさ」の持つ意味についても確認することが出来たように思います。小野竹喬 日本画の技法と素材http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2011/020701/index.html講演会、ワークショップ等、様々な場所で上記に上げたようなことをテーマとしてお話をさせて頂いています。なお、膠のこと、墨のこと、絹、紙についてなど、また筆、刷毛についても、そのおりおり知り得たことが加わり、尾形光琳作、紅白梅図屏風の再現制作後は、結晶学会でご縁をいただいた先生方から教えていただいたことも加わっています。この結果、絵の具の溶き方、胡粉の使い方などについても具体的な理解が進みました。
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※参考 講演会・シンポジウム報告書 2009年2月
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2009/030803/index.html