森山知己ロゴ
11/7//2016  材料技法

榊原紫峰展「水墨画で花鳥を描く」ワークショップ

■ 榊原紫峰展 笠岡市立竹喬美術館「水墨画で花鳥を描く」ワークショップ(11月6日)を昨日、行ってきました。紫峰作品を真似てできるだけ同じように描いてみようという試みです。質の違う画仙氏、生紙と加工紙(ドーサ引き)、薄美濃紙のドーサ引き。墨は、中国の松煙墨、純金泥を用意して、異なるのは描く自分自身の身体!のみと頑張って見ました。その記録と展示作品で注目したことなど。

bin110701.jpg

卒業制作の「軍鶏」。物の形を表す線描、そして墨による調子着け。白い鶏に見られるように、羽一枚一枚を分ける線を敢えて塗らないことにより、厚塗りにせず、生き生きとした羽の表情を描き出しています。中国古典の画法に近い技術、師の一人である竹内栖鳳の画法とも似ているように思います。

展示室Cで飾られている「雪中藪群鳥図」で竹の葉の重なり、隙間を敢えて残す描き方も、ある意味で線を活かす堀塗りとも捉えることが出来るように思います。

 
bin110702.jpg

「南園の一隅に於ける曲と眠り」アゲハ蝶の羽の輝き、触覚などの描き込み、ナカナカの見どころです。

下塗り、そして染料系の絵の具による描写、その上に乗せる上塗りの絵の具。実感、質感を伴った描写が見られます。同室に展示されている「葡萄虫図」の葡萄の色表現など、下塗り(染料による描き込み)と上塗りの関係についてのわかりやすい部分となっています。

 
bin110703.jpg

絵の具を溜めて置く。ワークショップでもお話した筆法を読み解く重要な要素、現れです。

基本的な運筆が目指したこと。支持体の変化とともに生まれたこの国特有といって良い価値観。
この葱坊主では、置かれている水分にしめる絵の具の量が多く盛り上がっていますが、もしこれが水の量が多いだけで、カーボンや絵の具が少なかったらどうなるか。たらし込みの基本となる「水」はこうして生まれたように思うのです。

古くは、積極的なモノ(具体的な存在)としての意味を持たなかった空間、余白。そこに「暈し」を使った陰影、色のグラデーションを加えることで心情表現をより深めようとする工夫。西洋絵画と触れることでバック、もしくは背景という概念が実際の表現となり始めた過渡期を感じます。この「暈し」が主題とこの背景を一体とするように用いられたことで生まれた国展、大正期の日本画表現の面白さ。「雪中白鷺図」「蓮」怪しさ、デカダンスの香り。
 

 
bin110704.jpg

大勢の方々が参加くださいました。
描いているのは「墨梅」の一部。雀を主役に描いてみました。

水墨画というと、一般的に生の画仙紙に墨と水でサッサと・・・勢い良くと思われるかもわかりませんが、ドーサを引いて画仙紙を加工し、綿密な計画とともに墨、加えて極僅かな金泥や、胡粉を使って描く絵もあるのです。明治期に出来た「日本画」という言葉、それまでに日本にすでにあった絵画、墨絵、大和絵、中国から来た様式の絵画も全てまとめて呼ぼうとしたのだとか・・。

思いを現実のモノとして作り出す、材料、技術、結果としての絵画。要素のそれぞれ、知ることで、鑑賞に具体的な言葉をもたらし、深い理解にもつながるように思います。もちろん、同じように試して描けばより見えてくることも変わるように思います・・・・。

参加してくださった皆さん!、展覧会の様子、最初に見たときと、ワークショップ後に見たときでは何かが違いましたよね!!。お疲れ様でした。

榊原紫峰展覧・案内は以下
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/topcontents/news/2016/110701/index.html