日本画の基本と粉本について
昨年度、倉敷市立美術館で日本画実技講座を引き受けた事、また今年は、所蔵される池田遙邨さんの作品を題材にして日本画についての話をさせていただくことになり、美術館に所蔵される本画以外の資料、模写等を拝見する機会をいただきました。是等の過程を通して、私なりに新たな発見があった事については既に紹介した通りです。日本の肖像画 7/26//2010 材料技法記事http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2010/072601/index.html かつて日本画を学ぶ基本とされた「運筆・臨画・写生」という三つの要素ですが、このなかで「写生」については、写真、ビデオなどのテクノロジが発達した今でこそ、その意味付けこそ異なった部分もでてきたとは思われますが、現在でも具象的な絵画を描く事において基本となる要素であることに変わりないでしょう。特に現在では、「自分の眼で発見すること」、「自分の手を動かす事」も含めて、その「身体」との関係まで含めて新たな意味付けが出来るかも分かりません。次に上げられる「臨画」についてすこし説明を試みるなら、絵を学ぶとき、文字のごとく隣に絵、お手本をおいてそっくりに真似て描くことです。写生にしてもそうですが、よく言われる「そっくりに描く」という言葉の持つ曖昧さ(それぞれにおいて、そっくりの定義、対象が異なる場合がある)を排除する厳格さが「臨画」にはあるのです。写生とは異なり、お手本は立体ではなく同じ平面、使う材料も同じ、臨画を学ぶという事は、今ならまるでコピー機を通した様に瓜二つの物を作るという事になります。しかし、コピー機がなし得る事がはたして絵画の持つ要素の全てにならないように、たとえば「線」、筆の動き、線を引くのに使われた時間の痕跡は、絵の具の厚み、発色に現れていますが、そのことを再現できる様な価値観がプログラムされているか、機能を持っているかが問われます。線の評価として「力のある線」なんて表現される秘密が、実はそういった部分、筆を動かすスピードまで真似て描かねば臨画した事にならないという勉強なのです。またそのことを評価する、価値観の所在にまで気づく事が要求される学びとなっているのです。あるいみで「評価」がハッキリとした、もしくは「達成目標」が具体的に提示された学習方法なのです。(達成目標を読み取る事も重要な学びです)さて、ここで一つ、断っておきたい事があります。それは「模写」と呼ばれる存在です。覚え描き、資料として、また保存等の必要性から文化財のコピーを作る目的のそれ、模写には、「臨画」のような気分を持っての「模写」、学びが全面に出た存在もありますし、また、そうでない物もあります。作家がどのようにそれと向き合うか?行うか?によって結果も異なったものになるのです。筆を運ぶスピードや絵の具と水の関係などの具体的技術取得もさることながら、形、いわゆるシルエットまで含めてそっくりに描こうとする過程で、線の洗練であるとか、対象の捉え方、省略、空間に着いての考え方等も同時に学ぶ事になります。何事においても自分自身、個性が最重要と考える現在の風潮に対して、この臨画が果たす学びとは、一人の人間の価値観を越えて、より大きな時間(歴史的価値観)、他者と時間と空間を越えて結ばれる方法の具体的学びともなっているのです。もちろんそれが選ばれ、時代を超えて厳選されたモデルである事も重要な事に違いありません。さてこのような「臨画」を達成するために必要な技能、本当の基礎の基礎!こそ、「運筆」となります。例えば水墨画をイメージしてみてください。筆をあのように使う事さえ、学んでいない人には不可能です。ましてや要素を削り、シンプルな表現になればなるほど「運筆」の持つ要素は大きくなります。個人的にはここに基底材と墨、筆それぞれの関係、来歴が大きく関わり、「日本画」と呼びたい独特の価値観の一つがあるように思っています。筆の構造と基底材の関係 5/8//2009 材料技法http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2009/050801/index.html確実な価値観の伝達、伝習方法としての臨画において、お手本となるのが「粉本」と呼ばれる存在の一つの役割だと考えているのです。「そっくりに描く」というシンプルな学習法ながら、個人の持つ時間を越えて、より長い時間、自然との関係構築をも含めて確実に理解し共有するのに必要な要素を確実に学べる存在です。私が学び始めた頃、すでに「粉本」については、語られる事も無くなっていました。ただし、個性表現においてネガティブな存在としての共通認識はあったように思います。まねごと、イメージの再生産を行う存在としての認識が体制を占めていたように思います。
江戸、明治から大正、昭和、平成。狩野派とか土佐派といった幕府であったり朝廷の絵所を中心に進んでいたこの国の絵画の流れ、学習、伝達の場は、画塾に移り、そして現在のような大学教育になってきました。流派の存在意義、それを広く社会的な存在とする事において「粉本」の果たした役割は大変大きなものであったと思います。このことは学画と質画を巡る話でもあきらかでしょう。流派の存続、栄光を担保するものとして、また小さな個人を越えた時間の共有のため、その具体的な教育のための素材として、また顧客のニーズを明確に捉えて最良の結果を出す資料集、もしくはパーツ、要素の具体的なデータベース、実際の下書きとしてと、その役割は多岐にわたったのです。池田遙邨の残した膨大な資料の中に大変多くの模写があります。大和絵を集中的に模写したそれを見るとき、いろいろな絵巻物、軸などからの樹木だけを抜き出した存在に眼を引かれました。私自身がもし大和絵風の作品を作ろうとした時、欲しいと思う存在です。模写当時、遙邨が日本回帰、大和絵的な価値観を求めていたとどこかで読んだ事がありますが、西洋的写実からスタートした遙邨が様式(伝統的、もしくは日本的価値観、絵画上の言葉)を手に入れる近道がこの模写であったように思うのです。竹内栖鳳の画塾ではじまった遙邨の日本画学習、当然、栖鳳のところに豊富な「粉本」があったことは想像にかたくありません。その粉本をはたして誰が継承したのか?そして、また遙邨自身も画塾を開きます。このおり、必要な「粉本」をどのように手に入れたのか?。残された旺盛な遙邨の模写は、自分自身の制作のためといったこともあったでしょうが、オリジナルな自分だけの「粉本」を持つといった意味もこの模写にはあるのではないか、そんなことをふと思っています。絵の勉強法、教科書の様な物、玉堂の日本画実習法で紹介した図版日本画実習法 付録 芥子園画伝要訣 6/21//2010 レポートhttp://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2010/062101/index.htmlこうした存在との関連性を思うのです。
時代は巡り、「粉本」という存在、そして日本画に対する認識も変わりました。これまであえて「普通の絵画」になろうとしてきたかにみえる日本画ですが、出来る事なら今日的に積極的な意味を感じたい、見つけ出したいと思う人間もこうしています。色々な出会いがつながって左の様な本にも出会えました。「粉本」の意味も自分なりにすこしは感じられる様になったと思います。
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