「愛」の見つけ方 CGAコンテストEX
私は東京を離れるのと時を同じくして積極的な制作を行わなくなりました。第7回(1995)の「A DRAGONFLY」が最期の出品作です。当時の思いについては既に書きました。http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2011/112302/index.html 第3回、第5回、第7回と出品したのですが、回を重ねるたびに自分自身のPC上で出来る事が増えるといった時代、まさしく黎明期でもあったのです。 パソコン雑誌の記事に刺激を受け、市ヶ谷のシャープビルで行われた第2回上映会を見に行きました。ネット環境などというものがまだまだキャラクタベース(基本は文字だけ、パソコン通信)の時代です。テレビでもパソコンを扱う番組(使い方開発、紹介番組)が当時あったのですが、動画のリアムタイム再生などというのは夢のまた夢の時代だったのです。まさしくコンテスト、上映会は、パソコンで作られた動画を実際に自分の目で見る貴重な機会、また関係者(パソコンハードの開発者、メーカーの方、プログラマ、アニメの制作者、ゲーム関係者、ソフトウエア開発、関連メディア記者、編集の方々などなど)に実際にお目にかかり、お話したり、お願い、要望出来たり、そして皆で情報を共有する事が出来る貴重な場所、時間でした。http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/image/2001/062802/index.htmlパソコンを使う、それも個人で映像制作をするなどというのは全くの少数派の時代だったのです。もちろん当時制作の中心にいたのは理工系の方々で、芸術大学関係はごくほんの少数でした。何故なら、数字の羅列、コマンドを含んだソースを自分で書かない事には映像を生成する事さえ出来ない時代だったのです。 時代はめぐって今回の交流会では大学の後輩にも出会う事が出来ました。大学院映像研究科の課題として制作したものが出品されていると聞いて時代の変化を今更ながら感じたのです。少々昔話をするうち、彼ら、彼女たちが自分の子供程の年齢の方々であることを今更の様に気づかされました。生まれたときからデジタル機器が身の回りにあり、あえて映像制作にCGを使っていますと断る事自体がすでに不思議に思える時代になっていたのです。 一方、コンテスト運営に関わる方々は最近ご無沙汰とはいえ昔より見知った方々でした。また常連組?の方々と久々にお目にかかれました。私が活発に活動していた当時でも皆さんは私より年下、メインは10歳程度下の方達だったのですが、皆さんそれなりの歳になっておられ、私との違いがそれほど感じなくなったとか、、、。一方、当時のプロの映像制作現場といえば、巨大な「お金」を必要とする場でした。大企業の研究所、大学の研究室、個人ではとても買えないようなマシン、ソフトウエアがないと満足なものが作れない?そんな時代だったのです。JCGLなんて日本初のCGプロダクションが出来たのもこの頃だったように思います。 ちなみに立体を描いたり、動かしたり、基本的には数字による指定、入力がメインでした。目の前にあるのは数字とコマンドの並んだテキストファイル、それを何時間もかけて一枚の画像を計算させていたのです。空間も立体も色も形も動きもまさしく数字の並び!の世界だったのです。コンテストが回を重ねる度、アプリケーションのビジュアルなインターフェースや、画像、アニメーションの生成手法が整備され、出来る事が増えたのです。第7回の出品作を制作するあたりで普通の個人(機材、環境)でもある程度のクオリティーの動画を作る事が可能になったと確認出来たそんな時代だったのです。もちろん、まだまだ解像度なども低く現在の作品の様な完成度、クオリティーにはほど遠いものでした。可能性を実際の映像として確認出来た事がうれしかった時代だったのです。 当たり前すぎる昔話、なぜこんな話をあえて書いたのか。そう、現在の制作者がすでに知らない話になっていたからです。別に知らなくてもそれなりの映像制作は出来るのです。しらなくても良い話ではあるのですが、自分の求める映像表現、数分のアニメーションの為に何ヶ月も掛ける思いの深さがもし同じだとしたら、その先、自分の欲求に応じて新たなプログラム開発を求めるような気持ちを持っても良いんだというようなことを知って欲しいと思ったのです。そう、多くの方々はよくも悪くもすごくお行儀が良かったのです。ただし、グランプリを取る様な方はやはり違いました。現在なりの時間の使い方を知っている様に思ったのです。「CGアニカップ」と題してフランス代表チームと日本代表チームが映像で戦うイベントが行われました。今回その審査員として呼ばれたのですが、はからずもお一人の審査員の講評、言葉が印象に残りました。個別の対戦、一方の勝利理由として「愛があるから」と仰ったのです。負けたもう一方の方には無いのかと言われればそんな事はありません。深さが違うのです。<「愛」の見つけ方>とは、まさしく自分なりのこだわり方、表現の深さなのです。もともとこの話の対象となった作品は、慣性、重力などの物理法則を巧妙に使った表現であったのですが、こうした普遍的な法則を巧に使う事で言語を越えて誰にでも伝わる映像のリアリティーを獲得していたのです。もちろん、ただ法則を使ったから良いモノが出来るといった単純な話でないことは当然です。その作り込みの中にハラハラドキドキする気持ち、誰もが感じた事があるであろう記憶を呼び起こす事に成功した映像が作り上げられていたのです。そしてもう一方はというと、確かにまとまり、よく出来てはいるのですが何処かで見た映像、内輪的な言葉、他のだれかの作った記号に頼った表現のように見えてしまっていたのです。記憶の呼び出し方の違いと言ったほうが良いかも解りません。 自分なりのこだわりの深さとともに、同時に人に見せるということは、自分と第三者との関係を問う事にもなります。プロとしてモノ作りを続ける上で大切な事をあらためて気づかせてもらい、また伝えにくいことがらではあるのですが、解りやすい伝え方、表現の仕方の手がかりをもらった様にも思いました。自分の思い、熱意を具体的な制作に結びつける手段、方法を確認、発見することも重要な事なのです。 第23回今回のグランプリ作品の凄さはただツールがあるから出来るといったレベルを超えた音と映像の合わせ方、タイミング。その追い込み方に作者の「愛」を感じたのでした。
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