川合玉堂展 覚え書き
開催されている広島県三次市・奥田元宋・小由女美術館。今年開館10周年記念ということでの記念企画展とのこと、素敵な美術館(初めて訪れました)でした。 「川合玉堂展-日本の自然美を見つめて-」 サブタイトルにかかれている通り、日本の自然を平明にスッキリと、詩情をもって描いた画家というイメージが強くあります。同時に薄塗り、墨を基調とした描法は、一般的に「日本画」という呼称と違和感の無い絵肌、姿です。閲覧中、聞こえてくる他の観客の方々が話している内容、今回の展覧会もまさしくそのイメージを確認するようでした。
※川合玉堂展 奥田元宋・小由女美術館開館10周年記念(2015年03月29日)http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/topcontents/news/2015/032901/index.html すでに紹介している通り、私自身「日本画とは何か?」と問う中、いろいろな示唆を受けた画家です。また当時(昭和2年)著された「日本画實習法」の意味の大きさを最近より感じているところなのです。※川合玉堂著「日本画實習法」内容一覧http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/k2mokuji.html川合玉堂著「日本画實習法」(東京 二松堂蔵版 昭和2年)を読んで、私なりに解釈を加えた解説、感想です。
ワークショップを引き受けているということも正直ありますが、何時もにもましてじっくりと一点一点を見ることが出来ました。また、ある程度の時間が過ぎ、私自身の中の変化もあって、また興味を持つ部分も変わってきたことを今回感じたのです。 京都・望月玉泉門下から幸野楳嶺門下へ、そして東京に向かい橋本雅邦に師事するという玉堂の学び。学ぶ地域、師弟関係が画家個人にどのような影響を及ぼすのかなどということについて、昔、私は考えることもなかったのですが、日本画や伝統について思いを巡らすうち、その影響といったものが必然のごとく関係する世界であることをここのところ思うようになりました。 まさしく、「出会い」が必然を生む・・・もしくは「必然」が出会いを生み出しているのかもわからないと思うのです。 京都で学んでいた頃の絵である、1.七福神遊宴図、2.扁柏雙猿図に比べて、東京に出て橋本雅邦の元で学び始めた頃の3.鵜飼(明治29年)は、狩野派的な要素を持った絵にいくらか変わったように見えますが、会場での実際の展示順である、1.2.と来て4.奔瀑遊猿を見る時、色合い、ダイナミックな構図、動きの表現など、明らかに狩野派との出会いを映しだすかのような表現、新しい息吹といった何かを感じるような気がするのです。これは5.冬嶺孤鹿の立木の構成、傾き、地面の角度などに受け継がれ、より深まりを見せているように思います。この時、玉堂25歳!!。 竹内栖鳳を連想しそうな水墨表現もあったりしますが、10.渓村春色を描く明治40年頃には、すでに晩年の玉堂を思わすようならしい何かがすでに現れているように感じました。 15.紅梅遊鶴図の描写など、装飾表現の紅梅に対して、いかにもリアリズム表現の鶴など、琳派的な表現も何かしらを加えて新たな試みとしているようです。18.小春、大きな軸装作品ですが、アクリルケースに納められたそれは大変見やすく展示されており、蓮の葉、茎の部分を掘り塗りにして背景の胡粉が塗られていること、京都で金汚しと呼ばれるような表現が見られることなど興味深く見ることが出来ました。加えて稲の描写、生々しい筆を運ぶ速度が見えてくるように感じます。 昭和6年に描かれた24.鵜飼(東京藝術大学蔵)何度も昔見た絵ですが、いろいろな文献、資料に当たった後の今、明暗の作り方、金泥の用い方など改めて思うことの多い絵です。続いて、25.深秋(昭和8年)、26.宿雪(昭和9年)、27.峰の夕(昭和10年)圧巻の三作品が並びます。昭和6年>>>なんと玉堂58歳! 32.嶋之春(昭和12年)、澄み渡る空気感、緑青の発色が美しい。34.朝もや、レイヤーを重ねて奥行きを現す日本画表現がいつの間にかレイヤーとレイヤーの間の空間まで感じさせています。これは37.御壕の朝などにも見られますが、玉堂らしい西洋絵画の消化を感じさせる表現のように感じました。 39.荒海 の波表現、中国からの様式も感じますし、また琳派も思わせます。加えて海に使われている絵の具、一般的な藍色ではない様子、この絵にとどまらず玉堂の使用しているブルー系絵の具、染料なのか、岩絵の具なのか?。 54.渓間之花、53.桟道紅樹、どちらも昭和25年頃の作、だとすればなんと玉堂77歳!の作です。きっちりと描き込みもある正攻法の作品、玉堂のパワフルさを感じさせてくれます。 コントラスト遠近とでも呼びたいレイヤーの重ね、染料、胡粉、岩絵の具の適材適所の使用、暈し。私は今回、「絹」という素材が玉堂の表現においてとても重要な素材であったことをあらためて強く感じることになりました。日本画における「水」の使い方、絹との親和性の高さ、その技術の有効な使用を可能にする素材としての絹です。 絹について、また晩年用いた和紙の特性について、いろいろと実験を試みたいと思っています。 さて、ワークショップ!2日連続の参加が条件となっていることも有り、参加のハードルが高くなっている様子。参加メンバーが少ないなら少ないなりに、おもいっきりマニアックなワークショップをこじんまりとやるのも・・・・・ひとつと思うところです(私も三次で一泊予定、どんな二日間になることやら・・・)。
Copyright (C) Moriyama Tomoki All Rights Reserved. このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。