sumi1.jpg

06.JPG

953.jpg

sumi3.jpg

blue2.jpg

blue1.jpg

byoubu.jpg

jiku.jpg
  

『水の記憶』シリーズ

  初めて「水の記憶」というタイトルを使ったのは1986年に開催された第二回蒼粒展(日本橋高島屋・大阪なんば高島屋)への出品作でした。(蒼粒展は1994年の第10回展まで開催)


 ■ 1986年 水の記憶 第二回蒼粒展166.0×364.0センチ

 もともと、雨の日であるとか、雪の日、もちろん海など水に関係するモチーフが好きであったことは確かでしたが、現在の『水の記憶』シリーズに直接結びつく発表となるのは、1992年の日本画4人展{河嶋淳司・斉藤典彦・岡村桂三郎・森山知己}大手町画廊での展覧会に、黄唐紙や絹に水墨を基調とした滝を描いて出品したときであったと思います。

■ 1992年 滝 10号 

日本画4人展出品
(大手町画廊 グループ展)


黄唐紙に墨、胡粉で描いています。
他に絹の上に描いた作品などを出品。シンプルに水の落下だけをとりあげたものがありました。

 1992年制作、上画像の「滝」、この作品には説明的な要素がまだまだありますが、このころからハッキリと確信犯的に水のイメージだけに絞り込んだ制作がスタートしています。墨だけ、墨と胡粉だけなど、黄唐紙、絹、素材との関係を楽しみながら制作しました。
 水の落下、沸き立つ水煙など部分が全てのような「滝」の制作・発表もこのころからです。大切にしたのは絹の上で墨や胡粉が水の力を借りて現れす質感の世界。また、「暈かす」をキーワードにした価値観(別ページ参照の事)にこだわったのもこのころからです。

 その後、個展全体のテーマとして「水の記憶」というタイトルを1998年日本橋高島屋>難波高島屋>岡山高島屋と巡回した個展に付けましたが、出品内容は風景、花、現在に続く私がこだわっている、もしくは捜しているテーマ全体としてのタイトルとなったのはこの時からです。
制作において個別の題名を付ける場合ももちろんありますが、この時から私自身の中で「水」というテーマが中心と思われる時には「水の記憶」というタイトルを使うようになりました。2004年開催した高松天満屋「水の記憶」個展(通算24回目)は、全ての作品において「水」と言うテーマを素材の使い方、技法も含めて意識し、意図的に発表した最初の展覧会でした。

 「日本画」という言葉からイメージする内容も人それぞれ。あえて「膠絵」とこだわって呼ぶ人もいるくらいはなから「日本画」という言葉さえ微妙な存在としての側面もあるようです。
私自身は「日本画を描く」とは「日本人の価値観を絵にしようとする試み」と捉えたいと思っています。恵まれた自然環境、四季の存在は、この「恵まれた水の存在」と無関係で無いことは明らかです。紙を漉くこと、筆と言う道具の存在、墨、絵の具を塗ること、描くこと、綺麗な発色を得るために水に教えられることが多々あります。水がはたしている役割はとても大きなものなのです。
 雨、霧、雪・・空気中の水分が見せてくれる様々な姿、この中で生きる事、こうして何らかの価値観が出来ていることも事実だと思うのです。

 軸、屏風など表装、額装も含めて、何らかの世界を表現できたらと思っています。

参考1.身体を信じてみる
参考2.アートガーデン「水の記憶」個展
参考3.得たもの失ったもの

▲home

< 森山知己のホームページ >