どの道を歩いているのか
私の新入社員のころ取引会社(東洋社)の社長さんに、「田上龍雄さん」と言う、
エマーソン哲学の研究者で、信奉者が居られ、その生き方もエマーソンの道を歩
まれた方がおられました。その会社へ納品に行く度に社長室に呼ばれ、哲学の話
を拝聴させて頂きました。
その中で、「人生行路の賦」として、「どの道を歩いているのか」の話しが特に
印象に残っていますので、ご紹介します。
令和4年8月 矢野啓一
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破滅への道
新聞や週刊誌には毎日のように政治家や経営者やタレントの醜聞記事が掲載され、そ
れが事実であると、必ず失脚し素晴らしかった過去の業績も名誉も名声も家庭も一瞬に
して崩壊し消え去ってしまいます。何のために生まれてきたのかも分からない破滅の生
き方をしてしまったのか、「後悔先に立たず」の見本のような人生で終わります。
それは大切な「破滅への道」を心得ていなかったからです。
令和4年9月 矢野啓一
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味のある人間
「味のある人間」がいる会社や組織グループはいつも明るく活発で楽しく、
大きな成果に繋がっていると言われています。
家庭でも誰かが味のある人がいると、家族が幸せになるそうです。
我慢や苦労がその源のようですが、少しでも味のある人間になりたいものです。
令和4年10月 矢野啓一
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輝く日々
人生は一度しかありません。
人生100年時代と言っても殆どの人は80年そこそこです。
この短い人生を 明るく 楽しく 元気で晴れやかに。
生まれてきて良かったと云う意義ある人生の
日々を過ごしたいものです。
令和4年11月 矢野啓一
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社内研修会 テーマ
社内研修会で話したテーマを羅列しましたが、内容説明や理由・解答などは、一切載せ
ていません。読まれた方が、それなりの適切な答えを、詮索しながらお楽しみください
。 令和4年12月 矢野啓一
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自分の人生に出会う為の言葉 「前編」
哲学の魅力は、誰が読んでも感動するのもので、時代が変わっても変らない普遍的で、
「そうだなー」と共感し、反省感が湧き出るところにあるのではないか。
この資料は、確か半世紀ほど前に出会ったもので、いろいろと参考にしたものです。
令和5年1月 矢野啓一
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自分の人生に出会う為の言葉 「後編」
マルクス・アウレリュウス帝哲学
令和5年2月 矢野啓一
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「運命を決定する目標」
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エマーソン哲学を直接ご指導頂いた「田上龍雄」さんの記事を紹介します。
令和5年3月 矢野啓一
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親学10か条
最近のデータでは、全国の自殺者は、21881名で、その内、小中高生が年に、
514名もあったとのことの事です。
その原因の多くは、いじめ・DV・パワハラ等が関係しているのです。これらの原因
に負けず、予防や縮小の手段として、親と家庭を良くするのが大変有効です。
子どもは誰でも反抗期があり、親の思いが通じ難くなることがあります。その程度に
よっていろいろ困る事が起こります。なるべく程度を小さくし、無くするには、親の
日ごろの心がけと接し方が大切です。
叱ったり、怒ったり、叩いたりすると、とり返しがつかない事になります。短所を突い
て叱るより、長所を褒める事が大変有効です。その為に有効な「親学」を心がけて、
幸せな親子と家庭を築くことを願うばかりです。
令和5年4月 矢野啓一
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愛と幸福
「愛と幸福」についての金言・格言・哲学系文言の特集です。
令和5年5月 矢野啓一
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立派な家庭教育
近所の悪口をいわないそれだけでも立派な家庭教育である
令和5年6月 矢野啓一
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金言・名言・格言 等・・(その1)
金言・名言・格言 等・・(その1)
令和5年7月 矢野啓一
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金言・名言・格言 等・・(その2)
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金言・名言・格言 等・・(その2)
令和5年8月 矢野啓一
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金言・名言・格言 等・・(その3
)
金言・名言・格言 等・・(その3)
令和5年9月 矢野啓一
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仕事や経営の参考にした標語集
仕事や経営の参考にした標語集
令和5年10月 矢野啓一
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改善の基本精神10箇条
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話し上手になるポイント
1990年(昭和63年)・35年前の講演記録ですが、今でもそのまま
大変参考になりますので紹介致します。
講師:山陽放送 アナウンサー 、井上いつのり氏
「マイク人生うらおもて」より。
令和5年12月 矢野啓一
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令和6年を迎えて思うこと
・よろこべば
・人の道
・一家揃うて
・自分に投資
・愛について想うこと
令和6年元旦 矢野啓一
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プロ十訓
プロとは、職業の事ですから、仕事を持つ人は、皆プロです。
では、具体的に、どんな事を考えたり、目差したりすれば良いのか、
を、「十訓」にしたものです。
令和6年2月 矢野啓一
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朝ドラ「ブギウギ」を見て
NHK・現在放映中の、朝ドラ「ブギウギ」を見てモデルは、
笠置シヅ子さんの物語ですが、私の中学生時代の流行歌です。
「東京ブギウギ」「買物ブギ」「大阪ブギ」などよく唄っていましたので、
懐かしく、今でもよく覚えています。
令和6年3月 矢野啓一
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今までの人生で、最も恐ろしくて、怖かったこと。
それは、原爆を覚悟した日のこと。
昭和20年8月6日に広島に原爆が落ち、3日後の9日の午前中に長崎に原爆が落とされ、同
じ9日の深夜から10日の未明にかけて受けた爆撃でしたから、てっきり原爆が落ちてく
るものだと思っていました。
尼崎市は8回目の爆撃で、終戦5日前の尼崎市の最後の爆撃でした。
令和6年4月 矢野啓一
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空襲・戦災・死傷者・終戦・戦後―その1―
昭和20年6月頃からは毎日のように空襲がありました。
阪神間の空襲ですから、神戸から大阪の工業地帯と軍需工場を狙ったものですが、住宅
地帯も同じように爆撃をうけました。
令和6年5月 矢野啓一
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空襲・戦災・死傷者・終戦・戦後―その2― (戦争は残酷)
毎日、ロシアとウクライナの戦争、イスラエルとハマスの戦争のニュースが
頻繁に流されていますが、テレビの映像を見る度に、アメリカの爆撃機B29の空襲
を思い出さされてしまいます。
令和6年6月 矢野啓一
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ケアラ君の事
ヤングケアラーの経験
ケアラは小学4年生(9歳)で、小学1年生の妹と、3歳の弟と 祖母(73歳病身)の世話
をしていたのです。
昭和18年(戦争中)の事です。 一番困ったのは食糧難です。
令和6年7月 矢野啓一
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